夫の給料、内職、頼母子講…さらに稼ごうとする千代
無駄を赦さない人たちは、決断も早い。そして、この「無駄を赦さない暮らし」が、千代の人生を動かしていくことになる。
『生きて行く私』でも、千代は大家から「おくさん、あなたが何もしないでお出でるのを見ていると、私たちは勿体ないことだと話しているですよ」と仕立物の仕事をして、頼母子講(無尽)に入ることを勧められたと書いている。
こうして内職を始めた千代は、目指せ百万長者とばかりに夫の給料に加えて、さらに稼ごうと奮闘する。既にベースとなる忠の給料はあるわけで、東京で暮らしていた時のことを考えれば余裕がある。それでも、千代は必死に稼いだ。
しかし、そんな千代にも誘惑があった……食欲である。
この当時、農業が盛んになっていた北海道では様々な食文化が生まれている。中でも味覚の秋の風物詩といえば、玉蜀黍……北海道の人がいうところのトウキビである。秋ともなれば、街角のあちこちで、貧しい人々が少しでも稼ごうと道端にござを敷いて、玉蜀黍を炭火で焼いて団扇で扇いでいた。
「おいしいものを食べてはいけない」1日3食ナスに…
しかし、千代は心を鬼にしてこれに手を出さなかった。
さらに食事も倹約は欠かさない。特に夏は豊富で安いナスを一日三度おかずにする。『わたしの青春物語』では、それでも気にはならなかったとし「私の財布には少しずつお金がふえる」とまで書いている。
しかも、貯め込むだけではない。頼母子講は口数を増やし忠の給料からも掛けている。とにかく蓄財である。これだけひたむきに蓄財できるのは千代が百万長者になることを明確な意志としていたと、神埜は『宇野千代の札幌時代:女流作家の誕生』で記している。
そんな熱情が作用したのか、札幌に移って間もない1921年には早くも講のクジに当選。あっという間に1000円もの大金を手に入れた。
初任給40〜45円の小学校教員なら約22〜25カ月分、忠の基本給80円でも約12.5カ月分にあたる。1円=5000円で換算すれば、ざっと500万円。入会して間もない23歳の妻が、宝くじを当てたようなものだ。
……と、普通は喜ぶ。


