現代の描写と80年前の戦争をすり替えた

このようなドラマは冷戦期にも数多く生み出された。ジョン・ル・カレのスパイ小説や、フレデリック・フォーサイスのサスペンス小説をわくわくして読んだ人も少なくないだろう。

諜報戦を描く物語では、国家の利益が対立すれば敵対組織が登場する。冷戦期であれば、「敵」はソ連だった。だが、敵対すること自体は、その国家や国民全体を悪と決めつけることとは別のことである。

今回、中国側が問題視したのは、中国を敵扱いしたこと以上に、相手を拉致し、拘束し、拷問を加えるという手段に対してだった。

ここに重要なヒントがある。中国側は「中国ではこのような拷問は行われていない。間違った描写だ」とは言っておらず、なぜか先の大戦のことに言及したのである。

中国はこれまで旧日本軍を残虐な加害者として描く抗日ドラマを大量に制作してきた。中には、超人的な中国人戦士が日本兵を素手で引き裂くような、荒唐無稽な作品まで存在する。

中国当局もこうした過度の娯楽化を批判したことがあるものの、抗日ドラマの制作自体を否定したわけではない。日本側のフィクションには歴史的な責任を持ち出す一方、中国側のフィクションには別の判断基準を適用している。

奇妙なのは、中国側が拷問という行為の現実性をめぐって反論するのではなく、旧日本軍による拷問という歴史認識の問題に議論を転換していることである。

だが、問われているのは歴史上の旧日本軍の行為ではなく、現代の中国の国家機関による拷問の実態である。中国側が持ち出した「歴史の逆転」という論理では、この問題への答えにはならない。

11年前に起きた「709事件」

今回の批判には別の説明も可能だ。日中関係は2025年11月の高市首相による台湾有事をめぐる国会答弁以来冷え込んでおり、後述する高市首相のドラマへの言及が引き金になったという見方もできるだろう。また、日本を批判する際に歴史問題を持ち出すのは、中国官製メディアの常套手段だ。

だが、それだけであれば「中国を敵役に仕立てた」という批判で足りたはずだ。中国側がわざわざ拷問という描写にこだわった理由は、それでは説明しきれない。

なぜ中国側は「VIVANT」の拷問描写に強く反発したのか。ここで思い起こすべきなのが、中国国内で実際に報告されてきた拷問の存在である。

2015年7月9日、中国全土で人権派弁護士や活動家に対する大規模な一斉取り締まりが始まった。いわゆる「709事件」である。