GMOを成長させた宗教経営

事の真相はわからない。しかし、熊谷代表が体育会運動部にも通じる「精神主義」を重んじているというのは、本人も認める事実だ。それがもうひとつの問題である「宗教経営」だ。ご存じの方も多いだろうが、熊谷代表はかねて「組織づくりは宗教に学べ。これが私の経営論だ」と言っている。

「長く続く企業になるために、宗教に学ぼうと思った。同じ社章を着け、ひらがなで名字を表記した同じ社員証をぶら下げる。聖書に当たるものとして作ったのが、写真の青いリフィル、小冊子だ。ここにはGMOイズムと呼ぶ会社の基本的な姿勢、不変の目標などが明記されている。全員が常に携行し、どんな会議でも冒頭で必ずGMOイズムを唱和する」(日本経済新聞 2025年10月29日)

こういう経営論自体は珍しくないし、これがGMO成長の原動力になってきた部分もある。ただ、危機管理の専門家として言わせていただくと、こういう宗教的価値観は何か問題が起きた時に事態を悪化させてしまうことが多い。

宗教というのは、自分たちの信じる道を突き進むという性格上、どうしても「独善的」な部分が強くなる。そのため、反省や謝罪の姿勢がうまく伝わらず、社会との対立を深めて新たな「敵」を呼び込んでしまうのである。

「自分たちは間違っていない」

筆者もある問題が起きた宗教団体のトップなどに「アンチと対話して落としどころを探ってみては」とか「社会の批判を一度受けてみて謝罪すべきでは」なんて意見を申し上げたこともあるが、ほとんど嫌な顔をされて拒絶される。悪意のある者の攻撃になど屈したくないという思いがあり、自分たちの「正義」はいつか認められると固く信じているからだ。

ただ、そういう態度が、その宗教のことをよく知らない人からは「まったく反省していない」「傲慢だ」と映ってしまいバッシングが加速する。さらに、この宗教にあまり関心がなかった第三者まで「敵」にしてしまうのだ。

今回の会見を見ていると、GMOと熊谷代表にも同じものを感じる。言葉遣いも丁寧だし、問題に真摯に向き合っているように見える。「ファン」の皆さんが擁護するように、熊谷代表のまっすぐな人柄も伝わってくる。

しかし、言葉の端々から「自分たちは間違っていない、あくまで被害者だ」という信仰にも近いこだわりを感じる。結果として問題を2年間放置していたことの経営責任を記者が質問しているだけなのに、「この悪意に汚染されているインターネットをこのまま責任という名において放置したまま死ねません」などと、「正義と悪の戦い」に飛躍させるあたりなど、極めて宗教的だ。