銃弾16発が校舎に命中

全16機のうち葛飾区を襲ったのは3番機だった。爆撃機襲来は昼の12時ごろ。学校は午前授業で生徒たちは帰りかけていたが、訓練通りに校舎内に避難した。しかし銃弾16発が校舎に命中。廊下にいた石出君の腹部を貫通し、石出君は即死した。

機銃弾は12.7ミリ径の対戦闘機用で、人に当たればひとたまりもない。機銃弾の跡は校舎に残り、えぐられた壁板が今も、葛飾区郷土と天文の博物館(葛飾区白鳥3丁目)に展示されている。

石出君の墓は水元小学校から歩いて15分ほどの法林寺(葛飾区西水元6丁目)にある。灰色の大きな墓石に彼の名だけが刻まれている。左面の戒名は「悲運銃撃善士」。墓には同級生らが清掃に集まり、その様子が報道され戦意高揚に利用された。

学校を攻撃したことを日本は厳しく非難した。校舎を軍事施設と誤認したとの説もあるが、理由はよくわからない。

子と母が焼けこげて一体化した母子の写真

2番機は荒川区の尾久付近を爆撃し10人が死亡、48人が負傷した。荒川区立熊野前保育園(荒川区東尾久8丁目)前に解説板がある。付近にあった家は直撃で6人が死亡した。

この際に亡くなった母子の写真を見たことがあるが、トタン板の上に乗せられ一塊りになった黒い「人のような」もの、にしか見えない。片足が曲がって跳ね上がったまま固まっている。子と母が焼けこげて一体化し、見分けもつかない。

空襲時間は12時18分。犠牲者の家は昼食中だったという。一家団欒の楽しい時間が一転した。

お膳に並んだ和食
写真=iStock.com/Tamiko Ihori
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ドーリットルの乗る1番機は新宿区の私立早稲田中学校付近を爆撃した。そのうちの焼夷弾の1発が、校庭にいた4年生の小島茂君の肩を直撃、小島君は即死した。校庭には多くの子爆弾が落ちたが、不運にも直撃は小島君だけだった。

現在早稲田中の校庭には慰霊碑があるが、一般公開はしていない。小島君を殺した焼夷弾の破片は同校に保管され、文化祭などで公開される場合もあるようだ。