穴を掘って埋められた10万人規模の死者
被災者の証言というと、爆弾が落ちて、逃げ惑って、でもなんとか生き延びました、と同じようなものと思っている方も多いかもしれない。私も漠然とそう思っていた。しかしいろいろな機会に体験談を聞くと、1つとして同じものはない。
100人いれば100通り、1000人いれば1000通りの体験がある。そして語られなかった10万人の死者の、10万通りの死に様があったはずだ。そのことに私たちは、未来永劫、思いを馳せ続けなければならないと思う。それは我々自身の未来のためでもある。
あまり語られることがないが、空襲後も悲惨だった。10万人規模の死者をどうしようもなかった。病院はもちろん、警察も火葬場も機能していない。とりあえず広い場所に穴を掘って埋めた。顔や身元がわかる遺体はまだ良かった。
しかし遺族が確認しても遺体をどうすることもできず、髪など遺品だけを取って去り、きちんと埋葬できる日を待った。黒焦げになり、一塊になった遺体は大きな穴にまとめて埋めたという。
こうした仮埋葬地は、のちの改葬記録によると71カ所とされるが、150カ所という文書もある。どこに埋められたのかわからなくなった場所もある。せっかく親族の遺体を見つけて川から引き上げたのに、目を離した間にどこかへ持ち去られてしまった、という遺族の証言もある。
「都民の士気に関わる。早急に人目に触れぬように」というのが行政の方針だった。3月18日には昭和天皇が深川、本所、浅草など空襲被害地を視察したが、視察予定地では優先して遺体の片付けなどが行われたという。
凄惨を極めた空襲3年後から始まった改葬事業
錦糸公園に約1万3000体、猿江公園にも1万3000体、上野公園8000体などが大規模な仮埋葬地だが、そうした歴史を示すものはほとんどない。
1200体が仮埋葬された隅田公園の一角にある言問橋袂(台東区浅草7丁目)の追悼碑脇の解説板には、わずかに「数多くの方々を仮埋葬した場所である」とだけ触れられている。
空襲3年後から始まった改葬事業は凄惨を極めた。何百もの遺体を重ねて埋めた場所では、掘り返すとまだ湯気が立つような状態だった。
わかった仮埋葬地を掘り起こして改葬するには3年かかった。身元が確認できたのは7000体程度で、7万体余りがまとめて火葬され、東京都慰霊堂に合葬されている。
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