すっかり痩せた体で「ええ、そうか」

その後何年も、大一郎は同級生たちをこのような豪華な旅行に連れ出しましたが、私が参加したのは初回だけです。子どもたちが、「バスは煙けむたくて気持ち悪いから行きたくない」と嫌がったためです。男性のほとんどがたばこを吸う時代でした。やがて参加者は男性だけになり、同級生だけでなく、大一郎が接待したい人をもてなす旅行になっていったようです。

金沢への旅行後すぐに、私はお土産を持って健ちゃんの家へ行きました。健ちゃんは退院して自宅で療養をしていました。健ちゃんの奥さんと玄関先で話をしていると、すっかり痩せた健ちゃんが奥から顔を出しました。

「幸子ちゃん、わざわざ申しわけないね」
「健ちゃん、退院できてよかったね。もっと早く元気になって、一緒に旅行へ行きたかったなあ。みんな寂しがっていたよ」

健ちゃんは寂しそうな表情を見せました。

「ええ、そうか。みんな楽しそうで、よかったな。俺も早く元気になるよ。喜良志によろしく伝えてくれよ」

健ちゃんがふたたび奥へ引っ込むと、奥さんが言いました。

「あの人、本当に弱ってしまって。ごめんなさいね。店は、いまのままでは維持できないから、ビルはもう手放そうと思ってるの。住み込みの子たちにも、みんな出ていってもらったし。だけどこうやってあの人が病気になったのは、ちょっと休めってことだったのかな。まあ、あまり愚痴を言ってもいけないから」

「喜良志、えらいこっちゃ!」

振り返ってみれば、当時、田舎だったこの町にも、いくつか新たな飲食店や、ファミリーレストランができていました。仕出し文化が衰退していくなかで、不幸な出来事が重なったのだと思います。

それからしばらくして、廣がいつもの炉端焼き屋の帰りに、わが家に寄りました。

「喜良志、えらいこっちゃ!」

玄関先で、大声でそう言うので、私は「静かに!」と廣を叱りつけました。

ごめんごめんと頭をかきながら上がり込むと、水屋(食器棚)から勝手にコップを2つ取り出し、一升瓶から酒をなみなみと注ぎ入れました。

「健ちゃんが、大一郎のことを名誉毀損で訴えるって。店が傾いたのは、大一郎のせいだって」

私たちはびっくりしました。

「どうしよう、俺のことも訴えると言われたら」

廣はコップ酒を両手で持ちながら、情けない顔をしています。喜良志が言いました。

「どこからの話だよ、それは」
「わからないけど、さっき炉端焼き屋で、そういう話を聞いたんだよ」

常連客が数人で噂していたとのことで、話を広めた張本人はわかりませんでした。喜良志は健ちゃんの家にすぐに電話をしましたが、誰も出ません。

台所の酒瓶とお椀
廣はコップ酒を持ちながら情けない顔をしたという(※写真はイメージです/プレジデントオンライン編集部にてAdobe Fireflyで作成)