「力が正義」というアメリカ人の価値観
国際関係というものは、人と人との関係に比べれば原始的な状態にとどまっており、実際には、まだまだマキャヴェリやホッブズの苛酷なリアリズムが支配する世界なのである。たとえばウクライナ侵攻についても、リアルにみるなら、ロシア以外の関係諸国の支配層も、ウクライナの人々のことよりも自国の利害を中心として動き方を考えているのは、明らかではないかと思われる。
特に、大国は横暴になりやすい。アメリカについても、戦後、ソ連ないしロシアと並んで最も多くの武力介入を他国に対して行い、あるいは拷問やテロの方法までをも教授し、また、ベトナム戦争やイラク戦争等の正当性に乏しい戦争を行ってきた国であるのは事実だ。
加えて、アメリカ人の意識の底の部分には、本書『法律家が見た日本社会の病理』で先述したとおり、力が正義であり、場合によっては暴力や悪もやむをえないという考え方、また、ナイーヴな者が相手にあやつられるのは自己責任だという考え方がある。強烈な自国中心主義もある。さらにいえば、アメリカ人に限らず、人間には、自己の意のままになる者を軽んじ、軽蔑する心性もある(私が目にしたアメリカの新聞や雑誌の風刺画には、「従属国」としての日本や、当時の首相安倍を揶揄するようなものも複数あった)。こうしたことも、よく認識しておくべきであろう。
危機管理意識を欠く日本の危うさ
繰り返すが、私が問題だと思うのは、前記のような、当然起こりうる事態について、つまり、アメリカ主導のかたちで行われる集団的自衛権行使の大きな危険性について、国民規模の深い議論がほとんど行われていないことだ。
そして、私は、日本が、きちんとした国家的危機管理の意識とヴィジョンのないままアメリカに追従・隷従してゆくのは、正直にいって、「核武装とは別種の、しかし同じくらいコントロールの難しい危険なチョイスなのではないか」と憂慮している。
さらにいくつかのことを付け加えておきたい。第一に、尖閣諸島問題についても、深刻な紛争になった場合、アメリカが本気でかかわるか否かはわからないと思う(たとえば、退官後に滞米在外研究を行っていた元自衛隊幹部の書物にも、「『尖閣をめぐる紛争は日本が単独で中国に対処すべきだ』というのが多くのアメリカの安全保障専門家の意見であり、私も、この主張は当然だと思う」という趣旨の記述がある(渡部悦和『米中戦争 そのとき日本は』〔講談社現代新書〕)。

