拒否された「中国企業が運営」

TAZARAの建設工事には3カ国から集まった数万人が携わり、中国人はアフリカ人に鉄道に関わる技術を教え込んだ。オーストラリア国立大学が発行する中国研究誌のメイド・イン・チャイナ・ジャーナルは、タンザニアの元機械工ホザ氏の回想を載せている。

回想によると中国人教官は、課題を出し、脇でたばこを吸って待った。出来がよければスワヒリ語で「サワ(よし)」。悪ければ「シ・サワ(だめ)」と言って自ら分解し、やり直させたという。

こうした指導の狙いは、中国人が去った後、アフリカ人だけで鉄道を運行する「自立」にあった。商機を狙うなら当然、技術を独占した方が良い。しかし友好の証として、あえて技術移転を行った。ただ、完全な引き継ぎは実現せず、1976年の開業後も1000人を超す中国人専門家が数年残ることになる。

開業から年月がたつにつれ、鉄道は本来の役割を失い、貨物輸送量は激減していった。財務状況が日増しに厳しくなる中、それでもタンザニアとザンビアの両政府は、中国企業に運営を委ねる案を一度は拒否している。

習近平が示した「商業化」の原則

1970〜80年代には、鉄道はザンビアの国営鉱山の銅を運んだ。ただし、カンバセーションは、最盛期の1977〜78年度でさえ貨物輸送量は127万トンと、設計上の輸送能力(年250万トン)の半分ほどだったと指摘する。

1980年代末からは運輸市場の自由化が進み、鉄道はトラック輸送との競争にさらされた。さらに、鉄道建設のきっかけとなった周辺国の白人少数政権が倒れると、ザンビアの貿易経路としても、遠回りだが港湾輸送の効率が高い南アフリカ経由の比重が高まっていく。

1990年代以降は、経営体制の不備と慢性的な投資不足が重なり、鉄道の衰退に拍車がかかった。給与の未払いや緊急の修理が相次ぎ、両政府はたびたび国庫から資金を注入せざるを得なかった。2014〜15年度の貨物輸送量は8万7860トンと、鉄道を運営するTAZARAが採算ラインとみる年60万トンの7分の1ほどに落ち込んだ。

2016年には、中国の企業連合が30年間の運営権取得を提案したが、両政府は条件面で折り合わないとして退けている。

とはいえ、IMF(国際通貨基金)の支援を受けるザンビアにも、債務が膨らんだタンザニアにも、自力で鉄道を立て直す財政的な余裕は到底なかった。そこで2022年、両国の大統領は、民間資金を呼び込む官民連携(PPP)方式による改修で合意した。

一方その頃、中国はこの鉄道への関与のあり方について、見直しを進めていた。香港英字紙のサウスチャイナ・モーニングポストによると、2023年9月、習近平国家主席は訪中したザンビアのハカインデ・ヒチレマ大統領に、「市場化と商業化の原則に沿って」、つまり商業ベースで改修を支援するとの意向を伝えた。

ザンビア共和国のハカインデ・ヒチレマ大統領
2025年2月6日、ザンビア共和国のハカインデ・ヒチレマ大統領(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)