入学早々、先輩に「絞められる」
作者は40代であることを考えると、ここまで激しい「しごき」というものは、もはや当たり前ではないだろう。しかし、いくつかはちらほらと、よりマイルドな仕方でなされてきたことのように思われる。
例えば、ある調査では、次のようなインタビュー記録が残されている。
高校体育科に入った時点で上級生にめちゃめちゃきつく絞められるみたいな。体育用語で「絞められる」って言うんですけど、入学式の次の日から「絞められる」っていうのとか。……○○体育科のルールは、入学してすぐに上級生が1年生の部屋に来て(1年生が)囲まれて、体育科のルールをバーって言われるんですよ。で、その時にみんな必死に手を震わせながらメモってて、それは皆がそれぞれ覚えておいて。(※4)
それに、野球部の体罰については、2019年に行われた、日本高等学校野球連盟加盟校の硬式野球部に過去所属していた男性大学生475名を対象としたアンケート調査にて、高校生の5%弱の17人は体罰を経験していることが明らかになっている(※5)。
人が苦しんでいることを喜ぶ奇妙な文化
内容としては、細身の人間に対して食事量強要を行う。怠慢なプレーに対して、連帯責任でランニング百本。返事をしないために衣類を引っ張られ、引きずり回される。打てなかったことに対して顔を殴られる。
練習中のミスや守備エラーで殴られる/ノックバットで叩かれるなど、ひどいものばかりである。5%が多いかどうか見方が分かれるかもしれないが、少なくとも2010年代後半になっても、一定の体罰が日本のどこかでは行われていることが明らかになっている。
体育会系文化においては、努力は、単に必要だから、ではなく、努力自体が評価される。努力とは、その内容というより、それが短期的には苦痛だが、長期的には幸福を生みそうだ、と本人が理解している場合にそう呼ばれる行為のことである。
それは、しんどいことをわざわざ、理解しながらやっているから、偉い、と評される。もし同じことを楽しそうにしていたら、それは努力ではないので評価されないのではないか。
つまり、「しんどいなあ」と思いながらしんどいと思っていることをしんどそうに頑張る、のが、努力の美学なのである。そう考えると、人が苦しんでいるのを、まさに苦しんでいるのを理由に喜ぶ、という奇妙な文化になりはしないだろうか。
※1 Haslanger, Sally. 2017.“Culture and Critique.“Aristotelian Society Supplementary Volume, vol. 91(1:.)149-173.
※2 石村広明、2022年「『バトルスタディーズ』にみる部活動文化に関する事例的研究」『人間文化研究』17号、15〜30頁。
※3 松田恵示、1993年「スポーツとマンガ―生活世界におけるスポーツへの解釈的アプローチ―」『大手前女子大学論集』27巻、197〜219頁。
※4 片岡栄美、2021年「体育会系ハビトゥスにみる支配と順応:スポーツにおける「理不尽さ」の受容と年功序列システムの功罪」『スポーツ社会学研究』29巻1号、5〜23頁。
※5 山崎雄大、2020年「高校野球における体罰問題に関する事例的研究―高校野球経験のアンケート調査から―」『仙台大学大学院スポーツ科学研究科修士論文集』21巻、151〜160頁。
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