仕入れ先のM&Aが加速 代理店は生き残り競争に

マクニカが初めて売上高1兆円を突破したのは、2023年3月期のことです。18年からの5年でほぼ倍増。26年3月期には、半導体事業単体でも売上高1兆円を突破しています。

この数値だけを見て「半導体バブルの恩恵」という見方をされることがありますが、今いわれている半導体バブルは、データセンター向けのメモリやGPUの話。しかし、当社が注力している産業機器市場や車載市場では、売り上げが1兆円を超えた昨年度、市場のバブル感は一切ありませんでした。

バブルの外側でなぜ、それができたのか。一つは成長する市場を見定めて、そこに粘り強く張ってきたこと。もう一つは、半導体メーカーの統廃合が進む中で、正規代理店として選ばれ続けてきたことです。

当社ではひまわりが太陽のほうを向くように、これから成長するマーケットにフォーカスする「ひまわり経営」を実践してきました。PC、通信インフラ、フラットパネルディスプレーなど、その時々で伸びる市場にフォーカスしてきたのです。

ただし、半導体商社のビジネスには少し特殊な構造があります。自社が取り扱っている半導体製品をお客様に採用してもらえるよう、主に競合製品を取り扱う商社と競います。しかも、半導体の商流はフリーテリトリーではなく、基本的には仕入れ先である半導体メーカーの方針に沿った商社から買わないといけません。つまり、我々はお客様に加え半導体メーカーに正規代理店として選ばれなければ、ビジネスそのものが成り立たないのです。

一つひとつのプロジェクトを獲得する戦いと、その実績をレバレッジにして半導体メーカーとテリトリーの交渉をする戦いはフェーズの違う話で、規模もやり方も異なります。我々はそれぞれのレイヤーで競争してきました。

この強みが活きることになったのが、10年代に入り加速した半導体メーカーのM&Aです。例えば、汎用アナログ半導体メーカーは10社以上ありましたが、統合が進んでいった結果、現在は大手の2社が突出しています。

M&Aで巨大化した半導体メーカーは、合併で数が増えた代理店を集約し、しっかりパートナーシップを組める商社と組んだほうが効率的に売り上げを拡大できる。半導体商社は、そこで選ばれなければ売り上げが途端にゼロになってしまう。

ただ、生き残ることができれば集約された分、シェアが増え、新たに取り扱える製品も多くなります。半導体メーカーが巨大化していく中で、彼らの代理店戦略を正しく理解し提案を続けていったことで、我々はサバイバル競争を生き残ることができたのです。

マクニカホールディングス社長 原 一将
原一将●マクニカホールディングス社長:1971年兵庫県生まれ。94年甲南大学理学部卒業、95年マクニカ入社。シリコンバレーの海外スタートアップとの取引を通じて営業のキャリアを積み、半導体カンパニーのプレジデント、車載営業本部長などを歴任。19年より現職。

海外メーカーから学び自分たちの技術を磨いた

では、当社がなぜ半導体メーカーから選ばれたのかといえば、技術力の高さが根拠になっています。

当社は以前から海外の半導体メーカーの取り扱いが多いことに加え、従業員に占めるエンジニアの割合が約3割の技術商社という特徴があります。この技術サポート力を活かし、どういう半導体をどう使うと役に立つのかをお客様に提案する「デマンドクリエーション(需要創出)」を行い、技術的付加価値をつけてきました。

多くの海外半導体メーカーのエグゼクティブとはこのような強い関係性を築いてきたので、いろいろなディスカッションの中で、彼らが何を考えているかを把握できていました。今のような業界再編を察知することは、どこよりも早くできていたと思います。

そもそも技術に力を入れてきたのは、創業時からの方針でした。後ろ盾がない独立系半導体商社として、他社との差別化を図る狙いがありました。

当社の創業は1972年。当時、国内の半導体メーカーは、どこも資本関係のある系列の特約店を持っていたので、独立系の私たちはそれらの半導体を取り扱わせてもらえませんでした。

商社の生命線になるのは商品。いかに良い商品をキャッチするかが重要です。そこで海を越え、日本ではまだ知られていないシリコンバレーの最先端技術をもったスタートアップの半導体メーカーと直接契約しました。まだ規模が小さくサポートも限定的だったので、マーケティングから販売、技術サポートまですべて請け負いました。

日本のお客様は誰も知らない、「これ、どう使うんだ」という状態の半導体を販売するには、シリコンバレーに行って半導体メーカーの中に入って技術を学び、自分たちで技術サポートとプロモーションをするしかなかった。そのためにもエンジニアを採用するようになり、経験を積み重ねる中で「技術に強い商社」になっていったのです。

シリコンバレーのスタートアップと一緒に成長してきた当社には、スピード感とベンチャースピリットの文化があります。現場への権限委譲も強い。

これから成長するマーケットにフォーカスし、技術提案で需要を創出していった事例としては、私が担当した車載市場向けのビジネスがあげられます。

社内カンパニーの責任者になったとき、通信インフラやPC、テレビといった需要が十分にある領域は、すでに先輩が担当する別のカンパニーが始めていました。まだ残っているのは何かと見ていくと、車載市場がありました。

その頃、自動車は大きく変わり始めていました。カーナビが急速に高機能化し、通信で繋がり始めていた。ハイブリッド車も登場し、動力側にもモーターやインバーターが入り込んでいた。この流れが続けば、通信機能も映像機器も全部車の中に入り、動力もエンジンからモーターになる。そうなれば、自動車は半導体の塊になる。今から手を打たなければ参入できなくなると、2004年に参入を決めました。

当時、国産車で使われていたのは日本の半導体ばかりで、我々が扱う海外半導体の採用はゼロ。品質条件が厳しく、国内の半導体メーカーとの結びつきも固く、入り込む余地はほとんどありませんでした。海外半導体を使うことで何が実現できるか、海外の自動車メーカーで使われている実績を、少しずつ説明していくしかない。

しかも自動車は設計から量産まで、5年かかります。携帯電話は半年、PCは1年、産業機器が1年から1年半くらい。今は自動車も3年くらいに縮まっていますが、最初の5年は絶対に赤字になるとわかっていた。

社内からは「まだ黒字化しないのか」という声も上がりました。そこで設計案件の発掘数や設計採用件数など実際の量産パイプラインを可視化しながらKPI化し、「順調に拡大しています」と示し耐え忍びました。

【図表】取引先のM&Aが続いても代理店契約を勝ち取ってきた

日本企業の厳しい要求を一つずつすり合わせた

当時の経営陣がめちゃくちゃ寛容だったかといえば、そういうわけでもなかった(笑)。私が粘りまくったというほうが正しいかもしれない。確かに権限委譲も一定の寛容さもあったとは思いますが、普通の人だったらギブアップしていたかもしれません。

風向きが大きく変わったのは11年の東日本大震災でBCP(事業継続計画)が意識され、日本企業が調達リスクを考え始めたことです。国内の自動車メーカーが世界の競合と戦うためには、日本の技術だけでは厳しいと考え始めたことも大きかったと思います。

我々は技術者が中心となり、日本企業の厳しい要求と、海外半導体メーカーが対応可能な保証水準を一つずつすり合わせていきました。全用途での採用が難しければ、使用する機能や部位を限定し「この用途なら、この品質条件で使える」という採用条件を作成。さらに、海外半導体メーカーには追加の品質対応を求め、日本のお客様には海外での採用実績や性能を示し、最終的に採用までこぎつけました。こうした努力で車載市場向けビジネスは成長し、26年3月期には売上高3109億円を稼ぐまでになっています。

国内トップになったことにより、半導体メーカー内におけるポジションが上がった結果、入ってくる情報の質は一段も二段も上がりました。お客様からは「半導体のことはマクニカに聞いたほうがいい」と考えてもらえるようになり、直接声がかかる好循環が生まれています。お客様の期待に応えて価値を提供できるよう、さらに専門性を磨き上げていきます。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2026年10月2日号)の一部を再編集したものです。

(構成=宮内 健 撮影=大槻純一)
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