メディアによる「森岡叩き」はおかしい
エンタメ業界において「必勝の法則」は存在しない。
1社が必勝だと確信した法則を競合企業が追随することで必勝は必勝でなくなるし、顧客はとにかく飽きるので環境条件が変わり続けるのはこの市場環境の常だ。
人材やチームに必勝と見紛うばかりの経験値やブランドがつくこと自体は否定できないが、永続できるプロダクト・サービスの必勝法則というものは存在しない。
こうした心地よいインサイトや神託は、森岡氏と共謀したマスメディアが作り上げてきたものである。それを形勢が逆風になったとみるやそれまでのすべてを否定するような風向きには強く反対意見をあげたい。
確かにコンサル案件では持続的な効果が弱かった部分はあるだろう。西武園やイマーシブ・フォートは確かに失敗といえる。だが、ネスタや六甲は安定経営されており、ニップン、イーメディカルも現在も継続している。
むしろ違和感があるのはこうした失敗事例の掘り起こしのほとんどが「2025年夏」に集中している、という点である。それは「石を投げられるから投げている」という手のひら返しにしか思えない。
ディズニーは大失敗から始まった
世界で最初のテーマパーク、アメリカ・アナハイムのディズニーランドは「失敗」から始まっている。
200万~300万ドルと見積もっていた建設費は、5倍以上の1700万ドルまで膨れ上がる。1955年7月17日の開園初日は「黒い日曜日」とウォルト・ディズニーが自嘲するほど惨憺たるものだった。
1.1万人に送ったはずの招待状は偽造され2.8万人が殺到。乗り物は故障し、レストランは売り切れ、猛暑で溶けだしたアスファルトに足はとられ、トイレがないとそこら中で客が用を足してしまう(※4)。
最大の理解者である兄のロイすら反対していた。だが、ウォルトは別荘を売り、生命保険をカタに借金までした。さらに、宣伝のために「ディズニーランド」というテレビ番組をつくって自ら露出するなど、ウォルトは本当にこの実現のためにやれることは何でもやっていた。
弟の意思を継いでロイ・ディズニーは、2拠点目のフロリダ建設を最後まで尽力したが、完成した1971年10月のわずか2カ月後に死去してしまった。テーマパークづくりとは最初から多くの犠牲を払い、命を賭す覚悟で実現する壮大な事業である。
創業者辻信太郎が推進したサンリオピューロランドも同様である。
1988~90年と約2年間かけて650億円の建設コストで設立され、1991年の初年度で入場者は195万人。それでも売上157億円に対して赤字は57億円。なんとその後2018年3月期まで18年もの間赤字が続いており、累積営業赤字は500億を超えている。
※4 馬場康夫『新装版「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日』(講談社)


