学歴が「社会的地位」を左右する国
おとなりの国・韓国を例にとろう。
ソウル大学を頂点とする「学歴」の序列が厳然としていると言われて久しい。2019年に広島大学の小川佳万・姜姫銀両氏がまとめた「韓国の高等教育政策 直面する課題と利害関係者」で、姜氏は、「ソウル大学(国立)が頂点に位置し、私立の高麗(Korea)大学・延世(Yonsei)大学(これら3校のイニシャルをとって、一般に「SKY」と呼ばれる)をはじめ諸大学がそれに次ぐヒエラルキーは『学閥社会』の象徴であり、その再生産の主な装置でもあることに異論の余地はない」と断言する(第5章 大学統合ネットワーク論 「大学序列体制」の解体をめぐる諸論について)。
これには、小川氏が同書で描写する次のような状況が前提となっている。
ほとんどの高校生は、誰もが進学するからこそ特に名高い大学への進学を望んで激しい受験競争に自ずと参加する。そして、その多くが、有名大学への合格のみを優先するため、自分の適性や関心などとは関係のない専攻を選択し、大学生活では学問より、資格取得や留学経験などの「スペック稼ぎ」に専念するようになる。韓国ではこのように大学への進学がまるで義務であるかのように認識され、逆に進学しない人たちを「正当なルート」から逸脱した問題人のような奇異な目で見ることさえある(第2章 高等教育における若年者雇用問題への対策 中小企業就職への支援と生涯職業教育体制の構築を中心に)
韓国や米国ほど競争は激しくないが
私の友人であるソウル大学教授は、同大学卒業後に米国で博士号を取得し、その後に母校で教鞭を執っている。娘も同大を卒業後、いまは彼と同じく米国の大学院に通っている。そんな彼は「自分はラッキーだ」と何度も言っていた。そうでも言わなければならないほど、つまり、「学歴」は自分の実力や努力の賜物だ、とは断言できないところが、韓国社会での「学歴」の大きさを物語る。
あるいは、その彼が学位を取った米国であれば、変化は見られるとは言うものの、アイビーリーグと呼ばれる大学群と、それ以外とのあいだの「格差」が喧伝されてきた。
ひるがえって日本は、どうか。いくら「学歴」が重視されている(と思われている)からといっても、ここまで苛烈ではないだろう。ダブルスクールに勤しむ学生もいるし、「ガクチカ」=学生時代にチカラを入れたことを増やそうとする学生も少なくない。日本にも大学名による序列がある(と言われてきた)。それでも、韓国ほどには強いとは言えないのではないか。

