戦後最大の思想家の金言
認知戦から降りることは、事実の追求を諦めることではない。政治を判断する足場を、SNSから自分の人生に戻すことにある。
戦後最大の思想家と評された吉本隆明は、大衆の原型を、明日の魚をどう売るかというような日常的な問題しか考えない魚屋の姿によって説明した。
なんだか上から目線の話に聞こえるが、決してそうではない。私なりに大胆に解釈・応用すれば、魚屋なら魚屋のプライドをもって、その持ち場から一票を投じろということだ。もっとも、吉本の政治思想にはかなり過激な部分があり、私自身、共感できないことが沢山ある。ただ、自分が生きる日常から社会を考えるという姿勢は、日常から切り離されたSNS上の物語が力を持つ今日だからこそ、大きな価値を持つはずだ。
投票先を考えるときくらい、生成AIも、アルゴリズムも、外国勢力による分断工作も、インプレッションを稼ぐインフルエンサーも、すべて締め出してしまえばよい。そこに残るのは、毎日魚と向き合い、客と話し、商売を続けるなかで見えてきた現実である。少なくとも魚を売るという営みについては、そこいらの評論家や政治家よりも、自分のほうがはるかに詳しいはずだ。
闘う場所と判断する場所を間違ってはいけない
なぜ、自分が最もよく知り、最も得意とし、そして最も誇りを持つべき場所からわざわざ離れ、もはや人智を超えたAIが暗躍するSNSへ出向き、その真贋を見極める必要があるのだろうか。そんな戦場で闘う必要は、一切ない。
極端にいえば、当選すれば魚がいちばん売れそうな候補者に投票したってかまわないし、長年の接客で培った勘から、信用できそうな人間を選んだってかまいはしない。
そこには誤りもあるだろうが、少なくともSNS上で生まれた物語に身を委ねるのではなく、自分の足で立ち、自分の頭で判断している。しかも、その選択を支えているのは、自分の持ち場で懸命に働くなかで得られた経験知だ。
闘う場所と判断する場所を間違ってはならない。魚屋は、明日も魚を売るその場所から、プライドを持って一票を投じるべきではないか。
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