約80話、創作だらけの「大岡政談」

忠相といえば公正で機知に富み、人情味ある「大岡裁き」が有名だ。俗に「大岡政談」といわれ、その数、約八十話。

もっともこれは、ほとんどが後世の創作だ。忠相にはそもそも山田奉行時代の逸話からして作り話がある。

山田奉行とは伊勢国山田に駐在し、伊勢神宮や同社の領地である「神領」を統治する遠国おんごく奉行で、門前町の管理や伊勢・志摩の訴訟、鳥羽港の警備・船舶点検などを担当する幅広い職務だった。

伊勢の地には長年、隣接した松坂(三重県松阪市)との間に、領地の境界をめぐる争いが絶えなかった。だが当時の松坂は紀州藩に属していたため、歴代の山田奉行は御三家の威光を恐れて裁定を下すことを先送りしてきた。

それを、忠相は紀州の権威に屈さず、松坂側の者の三人に非があるとして処分を下したという。

当時の紀州藩主が、のちの八代将軍・徳川吉宗。吉宗はこの裁きを高く評価し、将軍に就任するや忠相を重職に登用――と、いわれているが、山田と松坂との境界をめぐる問題といった複雑な裁定は、いくら忠相といえども一人で下すことはできない。評定所へ諮問する必要がある。そして、それを実行したのは忠相よりひと昔前の山田奉行・桑山貞寄くわやまさだより(一六一三〜一七〇〇)だったことが、同地の記録『山田奉行御役所旧記』にある。

“ヒーロー”にちょうどよかった

これを忠相の業績にすり替えてしまったのは、忠相を題材とした歌舞伎の脚本を制作した芝居関係者だろう。忠相には美談・英雄談が多くある。それはとりも直さず、忠相こそが「正義の奉行」「奉行はかくあるべし」というヒーローとして祭り上げるのに、適切だったからだろう。

例えば「大岡政談」では有名な落語・講談の演目「三方一両損」――。

ある男が財布を拾った。金三両と持ち主を特定できる書き付けが入っていたので、男は正直に落とし主に届けた。ところが、届けた相手が謝礼として財布の三両を渡そうとすると、男はかたく固辞。あげく「渡す」「いらない」で大げんか――それなら「お奉行様に沙汰してもらおうじゃねぇか」と、南町奉行所に訴え出た。

話を聞いた忠相は、こういった。

「それでは私が一両出すから、四両を二人で分けて二両ずつ受け取るが良い。本来、二人とも三両を独り占めできたのに一両損。私も一両損。三方一両損だ」

落語ではこの後、忠相が二人に食事をご馳走する。

「あまり食いすぎると腹をこわすぞ」と忠相。

「いえいえ、多くは(大岡は)食えねぇ。たった一膳(越前)」

よくできた噺だが、実は江戸時代初期の奉行・板倉勝重いたくらかつしげの施政を記録した『板倉政要』に元ネタが載っている。ここでは拾ったカネ三分で言い争う二人に、

「私が三分加えて合計六分とするから、二人で三分ずつ分け合え」

と裁いている。日本近世史の研究者・辻達也氏は、忠相以前にこの話は成立しており、それがのちに忠相の事績にすり替わって流布したのではないかと示唆している。

『新版大岡政談』1928年、スチル写真
『新版大岡政談』1928年、スチル写真(写真=日活太秦撮影所/PD-Japan-organization/Wikimedia Commons