「稀代の人喰い熊」に変貌したワケ
札幌近郊だけで発見される1300体の4分の1、つまり325体もの変死体が、春の雪どけとともに地表に露出する。いうまでもなく、この時期はヒグマの冬眠明けの時期と重なる。
もうおわかりだろう。
加害熊は、これらの変死体を喰ったのではないか。
自殺者の腐乱死体を喰らい、生きた人間を喰らい、再び腐乱死体を喰らう。
これを繰り返して、加害熊は稀代の人喰い熊に変貌していったのではないか。
ヒグマが死体を喰った事件は過去にいくつも報告されているが、以下はその代表的な記述である。
明治三十七年の七月のこと砂川村一号線東西線の共同墓地に熊があらわれ、土葬した墓を八個も発掘し、その一つからは死体を引き出して放置してあった。おなじ年の九月には滝川村東四丁目兵村共同墓地と屯田兵第三中隊、第四中隊などの墓地に出た熊は、墳墓を発あばくこと実に三十箇所におよび、そのなかで屍を引き出して食ったものが五個もあった。三十八年には杵臼村幌別の共同墓地に親子三頭の熊が出没して、五月から七月までに土葬した遺体五人分を発掘してくいつくし、二名の屍をほじり出したし、十一月には瀬棚村島歌の墓地では新しく埋葬した死体を発掘して腸だけをくった(犬飼哲夫『林』1953年3月号、北海道林務部)
土葬された亡骸を掘り起こす異常性
この他にも、上川郡美深に大熊が出没して〈墓地に埋葬してある死体をくわえ出して喰らうこと、既に十三個に及び〉(「小樽新聞」明治43年10月1日)などがあり、最後の記録は、猿払の墓地で〈本春、埋葬したる死体を発掘し、肩その他を喰い荒し、そのまま姿を没したり〉(「北海タイムス」大正6年9月10日)とあり、まさに不気味としかいいようがない。
実際に、埋葬された死体を掘り起こして喰ったヒグマが、後に人間を喰い殺した事例も報告されている。
昭和七年のことです。かって大樹には例のみない重大な事件が発生しました。それは、歴舟川の川尻に近いある農家の若者が、昼食のために家へ帰る途中、ふいに熊におそわれて食殺されてしまった、という事件です。(中略)熊に襲われたと思われる現場には、長ぐつや衣服などが散乱し、間もなく約二十メートルほど離れた土の中から、傷跡もなまなましい遺体が発見されました(「ヒグマを追って五十年 大樹町・島尻久吉さんを尋ねて」、『樹氷』1970年11月号、帯広営林局)

