ベテラン猟師も恐れる危険な特徴

それから2カ月後、タケノコ採りに山に入った主婦が無惨な死を遂げた。

定山渓温泉地の樵夫しょうふ、有馬長作の妻トキ(四十一)は、六月十日午前十時頃、付近の女子供八人連れで裏山にタケノコ採りに入ったが、上手かみてに一頭のヒグマが現れた。一同は悲鳴をあげ、散り散りに逃げたが、トキはその場に気絶してしまった。その後、三歳、二十五貫(約九十四キロ)程度の赤毛の加害熊が射殺されたが、トキは臀部および右腕を喰い取られた無惨な死体となって発見された(「小樽新聞」大正14年6月13日、抄出)

タケノコ
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定山渓のクマが〈昔から根性が悪い〉というのは『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』(砂沢クラ 福武文庫、1990年)に出てくるが、以下のベテラン猟師の発言にも同様の示唆が含まれる。

木村=(中略)面白いもので、その山によってクマの性質も違う。手稲山と定山渓のとでは違うように思う。毛色も真黒なのは体が大きくてのんびりしたところがあり、性質はおとなしい。赤毛は小型で、せいぜい二五〇キロぐらい止まりで、コセコセして遠歩きする(「札幌のクマ狩り名人の座談会」、『熊・クマ・ひぐま』林克巳 時事通信社、昭和46年)

定山渓はベテラン猟師も警戒するヒグマの危険地帯であった。

21歳男性は右全半身を喰い尽くされ…

次に発生した人喰い熊事件は、13年が経過した昭和13年、同じ定山渓の豊羽とよは鉱山であった。

二十一日午後一時半頃、道路視察に赴いた道庁職員一行を案内した定山渓土木請負業、前花幸次郎(二一)、吉倉良太郎(三九)が、馬に乗って定山渓から約三里(約十二キロ)奥の薄別うすべつ大曲へさしかかったところ、巨熊が出現した。ヒグマは前花が逃げようとするのを狙って一目散に襲いかかった。翌日昼頃、前花は〈現場より二十間〔約三十六メートル〕を隔てた草むら中に、右全半身をほとんど喰い尽くされ、無残な死体となって埋没されていたのを発見された〉。加害熊は現場から約二キロ離れた地点で撃ち取られた。六歳のメスで六尺〔約一・八メートル〕、五十貫〔約百八十八キロ〕であった(「北海タイムス」昭和13年10月23日・24日・27日、抄出)