「何を学ぶか」より、「何を捨てるか」が重要
現代のビジネスパーソンは、とにかく忙しい。日々の仕事に追われながら、その上で知的生産力まで高めようとするならば、限られた時間と集中力をどこへ投下するかを厳密に考えなければならない。
重要なのは、「有益なインプット」を増やすこと以上に、「無益なインプット」を減らすことである。
情報社会では、放っておいても大量の情報が流れ込んでくる。しかし、その大半は、自分の知的生産力を高めない。私は以前から、「仕事に関係するインプットしかしない」という割り切りが重要だと考えている。
もちろん、これは人間性を失えという意味ではない。趣味や息抜きまで否定するものではない。しかし、少なくとも「知的投資」という観点から見れば、仕事と無関係な勉強に大量の時間を投入することは、費用対効果が低いのである。
例えば語学学習だ。英語学習は、現代日本では「とりあえずやっておくべき自己投資」のように語られることが多い。しかし、もし仕事で英語を日常的に使わないのであれば、その優先順位は決して高くない。もちろん、最低限の英会話力はあった方がよい。しかし現在では、翻訳・通訳AIの性能が急速に向上している。中途半端なレベルの語学力なら、機械の方がずっと正確であるというのが現実だ。
にもかかわらず、多くの人は、「英語ができる人間になりたい」という漠然とした願望のために、膨大な時間とお金を費やしてしまう。しかし、本当に重要なのは、「英語を学ぶこと」ではなく、「自分の仕事に必要な知的能力を強化すること」のはずである。
もし仕事で高度な英語が必要なら、本気で取り組めばよい。しかし、そうでないなら、その時間を別の学習へ回した方が、知的生産力は大きく向上する。まして、仕事と無関係な外国語を趣味的に習得しようとするのは、コストが高すぎる。語学は想像以上に時間とエネルギーを消耗する学習だからだ。
「歴史を学ぶ人」が最後に生き残る
現代は「すぐに役立つ知識」が過剰に求められる時代である。しかし、本当に役立つ知識とは、往々にして「すぐには役立たない知識」である。
歴史、哲学、宗教、文学――。
これらは即効性がない。
しかし、長期的には、人間の判断力そのものを形成していく。私は以前から、「教養は最強の武器になる」と述べてきた。それは、教養が「情報」ではなく、「判断力」だからである。
例えば、AIがどれほど発達しても、人間に代替しにくい能力がある。それは、「意味の文脈」を理解する力だ。
私は『思考法――教養講座「歴史とは何か」』の中で、数学・教育工学の新井紀子の議論を紹介した。現在のAIは、膨大なデータ処理や計算、文章生成は極めて得意である。しかし、その情報が「なぜ重要なのか」「歴史の中でどのような意味を持つのか」といった文脈理解については、なお限界を抱えている。だからこそ、人間には教養が必要になる。

