「漢族」とはDNAの話ではない
まず、中国の「少数民族」とは何でしょうか。「少数民族」とは、中国における「漢族」(もしくは「漢民族」)以外の民族の総称です。では、「漢族」とは単一の民族なのかと言えば、そうではありません。
かつて中国や東アジア社会には「国家」や「国境」という概念はなく、「文明」の中心からどれほど離れているかで「野蛮」か否かを決定していました(これを「華夷思想」といいます)。華夷思想の下では、国家や民族という概念はありませんでした。
しかし、中国に西洋から外国人がやってきて、「キミたちはどんな民族なんだい?」と聞かれるようになると、答えられなかった中国は、急いで民族を定義する必要が出てきました。そして、「中華文明を受け入れている人」を「漢族」と呼ぶことにしたのです。つまり、古代中国では「どれだけ『中華文明(漢字や儒教など)』を受け入れるか」という観点で、場合によっては他民族も「漢族」になれたということです(注1)。このため、「漢族」とは、「血縁的民族」ではなく「文化的共同体」であると指摘されています(注2)。
中国では一般的に、北部の住民は背が高く、南部の人は背が低いと言われます。つまり、「漢族」同士ですらもDNAレベルでは異なる「民族」の集合体なのです。
ところが、中国が「国民国家」や「国境」の概念を導入するようになると、古代中国の皇帝に朝貢をしていても「中華文化」を全面的には受け入れていない「グレー」な集団を巡って、少数民族問題が生じるようになりました。「漢族」のそもそもの定義からすると、「漢族」ではない「少数民族」は中華文明を受け入れてない、つまり漢字や中華的な生活様式などを受け入れなかったコミュニティであり、普段の生活を巡っても漢族と対立が生じることは明らかです。
中華民国時代から引き継がれたイデア
その後中華民国時代に、日中戦争において日本に抵抗するため、清朝末期に生まれた「中華民族」という概念が意図的に強調されました。「漢族」のみならず、中国国内にいる全ての民族としての「中華民族」が共同・連帯して「日本に勝つ」という意識です(注3)。
この「中華民族」意識は、中華人民共和国になっても強調されてきました。例えば中華人民共和国初期に臨時憲法の役割を果たした、1949年9月29日制定の「中国人民政治協商会議共同綱領」第50条は、「中華人民共和国を、各民族の友好と協力に満ちた大家族にするものとする。……民族集団の団結を分断する行為を禁止する」と規定していました。
1954年に制定された中華人民共和国最初の憲法でも「中国のすべての民族は、自由で平等な民族大家族として一つにまとまっている」(前文第5段落)、「民族団結を破壊する行為は禁止する」(第3条第2項)、「各民族自治地方は、中華人民共和国の不可分の一部である」(第3条第4項)と規定されていました。
つまり中華人民共和国は建国以来一貫して、民族の独立は許さないという立場を取っているのです。

