「くれぐれも邪魔にならないように気をつけろ」

山本氏はその後も地道に目白に通い、雑用をこなし、時には記念写真係も買って出た。

3カ月が経過したある日、いつものように山本氏が朝からやってくる陳情客の交通整理をしていたとき、遠くからその姿をじっと見つめる角栄の姿があった。

そこへ背後から早坂が忍び寄った。

「オヤジ、もう三月みつきになりますよ」

角栄が返した。

「……まあ、いいだろう。ただし、くれぐれも言っとけよ。邪魔にならないように気をつけろと」

目白の私邸は、角栄や家族が暮らす母屋と、仕事をこなす事務所、陳情客や取材記者、派閥議員が集まる大広間の「ビジネスエリア」に分かれていた。

山本氏はこの日から母屋を除く部分での撮影が「解禁」となり、角栄にレンズを向けることが許されるようになった。

「空気のような存在」から「山ちゃん」に

「すべては早坂さんのおかげです。僕が組織に所属しないフリーのカメラマンだったことも幸いした。特定のメディアに所属するカメラマンだったら、ロッキード事件の報道でマスコミ不信を強めていた角さんがOKすることはなかったでしょう」(山本氏)

目白では、あえてプロ用の大きなカメラを持たず、コンパクトカメラを使用した。喫煙中の角栄は、山本氏が近づくと後ろを向き、タバコを隠した。それ以来、山本氏は角栄のリラックスする時間を奪わないように心がけた。

「撮りたい」というカメラマンの本能をあえて封印し、空気のような存在になる――その徹底した抑制が、角栄の心を開かせた。

当初、角栄から「写真屋」「ピカッと光るやつ」と呼ばれていた山本氏はいつしか「山本君」と呼ばれるようになり、ついに「山ちゃん」まで格上げされた。

半年後には「都心の秘境」と呼ばれた母屋でも撮影が許されるようになり、足かけ3年にわたる密着取材が本格的にスタートしたのである。