博士は中国当局によって3年間も収監

専門家としての倫理や責任を問う激しい批判が矢のように飛んでくる中、賀博士は会場から姿を消した。殺到する報道陣の取材を避けたのではない。中国当局が即座に動いたからだ。その後博士は行方不明になったと噂されていたが、実際には逮捕、軟禁され、大学の研究室から追い出され、妻や娘たちと引き離され、自宅から遠く離れた刑務所に、3年間入れられていた。

のちに広東省の調査班が公表したのは、賀博士が自らの「名誉と利益のために」、倫理審査申請書類を捏造し、実験参加者の血液検査に替え玉を使い、中国の倫理道徳と科学研究への信頼に著しく傷をつけ、国の法令に違反したこの一連の行為によって、国内外に極めて悪い影響を与えたというものだった。

北京天安門広場の人民大会堂
写真=iStock.com/Peng Wang
中国の首都・北京  ※写真はイメージです

メンツを何よりも大事にする中国にとって、賀博士には顔に泥を塗られたも同然だろう。

香港での発表翌日に国営テレビに出演した中国科学技術部の徐南平副部長は、賀博士の行為を激しく批判、研究中止を命じたことを明らかにした。

まるでこの事件を、賀建奎という一人の研究者、〈カネと名誉のために科学を利用した、とんでもない悪人〉の個人的犯罪に矮小化わいしょうかして、速やかに幕引きするかのように。

暴走する中国の遺伝子操作技術

賀博士の件で国際社会から批判を浴びた中国政府は、その後規制を強化、2020年には「違法なヒト受精卵の移植」に対する刑罰を、最高7年の懲役に引きあげた。

だがその一方で、バイオ戦争における最大ライバル国アメリカに負けぬよう、研究開発の手は、決してゆるめることはなかった。

実は中国ではすでに2015年から、国内新興企業「安徽柯頓生物科技有限公司」が医療機関とタッグを組み、クリスパーキャス9を使った遺伝子改変を開始していた。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙などの海外メディアによると、中国ではわずか3年で86人もの受精卵にゲノム編集実験を行っている。

また、同じ2015年の4月には、広東省広州市にある中山大学の黄軍就ホアン・ジュンジウ副教授の研究チームが、ヒトの胚の遺伝子編集を行った論文を発表。

実験は失敗したものの、世界中の科学者たちをギョッとさせ、香港中文大学生命倫理センター所長が〈中国本土の遺伝子列車は速すぎて止められない〉と警鐘を鳴らしていた。

技術者が細心の注意を払って卵子の受精
写真=iStock.com/Tempura
※写真はイメージです