信雄は「ふつうより知恵が劣っていた」

興福寺の塔頭、多聞院の僧侶による『多聞院日記』には、光秀の軍を破った信孝が信長の後継者とみられていたが、兄の信雄と意見が対立して軍勢が対峙した状態にある、と書かれている。この状態でどちらかを名代にすれば、政権が火種をかかえてしまう。とはいえ、その後も兄弟のあいだで火種はくすぶり続ける。

信雄と信孝をくらべれば、世間の評価が高いのはやはり信孝で、宣教師のルイス・フロイスも『耶蘇会年報』に、信孝が「天下の主になる」という噂があった、と記している。

また、フロイスは『日本史』に、安土城の中枢部が炎上したことを記し、こう書き添えている。〈デウス(註・神)は、(中略)付近にいた信長の子、御本所(信雄)はふつうより知恵が劣っていたので、なんらの理由もなく、彼に邸と城を焼き払うよう命じることを嘉し給うた。城の上部がすべて炎に包まれると、彼は市にも放火したので、その大部分は焼失してしまった〉(松田毅一・川崎桃太訳)。