天皇に明かされた空襲の不都合な真実
空襲後、東日本の防衛を担当する東部軍は敵機9機を撃墜したと偽りを発表していましたから、杉山元参謀総長は東久邇宮が本当のことを昭和天皇に知らせるのを恐れ、「防衛総司令官には、陛下に直接報告する権限はないからいけない」と妨害にかかります。
しかし、昭和天皇のたっての頼みとあって、東久邇宮は、総理兼陸軍大臣の東條英機と杉山が侍立している前で、「敵機は一機も撃墜できませんでした。また今のような体制では、国内防衛は不可能です」と暴露してしまいました(東久邇稔彦『やんちゃ孤独』、読売新聞社、1955年)。
国民も、晴天の昼間にもかかわらず、誰も墜落した米軍機を見ていないことから、発表はどうもウソらしいと気づき、「撃墜したのは9機ではなくて、くうき(空気)だろう」とささやきあったといわれます。東條総理も激怒し、「こんなでたらめな報道をやったのでは、今後の戦果の発表の信を内外に失う」と、取り消しを求めましたが、結局は訂正されませんでした。
実際には全機が日本の領空を脱し、一機がソ連、他は中国の沿岸地域に不時着しています。そのうち中国軍が確保している地域までたどり着けなかった8人が日本の捕虜になりました。非戦闘員への機銃掃射など、戦時国際法に違反した彼らは、捕虜ではなく戦争犯罪人として、上海で軍事裁判にかけられ、全員に死刑判決が下されます。
そのうち3人は刑を執行され、5人は執行猶予となり、拘禁中に獄死した一人を除いた4人は戦後、釈放されました。


