帝都空襲に山本が抱いた強い危機感

この時、米軍機の機銃掃射を受け、葛飾区の水元国民学校の生徒が死亡しています。もちろん国際法違反です。12.7ミリ機銃の弾丸は、その名の通り、直径20ミリ、1.3センチほどもあって、驚くほど大きい。葛飾区は今も、この機銃掃射でえぐれた廊下の板や機銃弾などを保管し、区の博物館に展示しています。私も見たことがありますが、戦争の恐ろしさを実感させられるようなものですね。

しかしながら、いくら大型爆撃機といえども16機くらいではそれほど大きな戦果は見込めません(表6 ドーリットル空襲の被害)。日本の陸軍報道部も、東京空襲の指揮官の名は、ドゥ・リトル(Do little)だが、実際は、ドゥ・ナッシング(Do nothing)だったと揶揄やゆしました。

【図表2】ドーリットル空襲の被害
筆者作成

けれども、陸海軍指導部にとって、ドーリットル空襲は一大衝撃だったのです。戦争末期に連日のように空襲を受けて、東京ばかりか主要都市が焼け野原となったことを知る後世のわれわれには、かえってわかりにくくなっているのですが、当時の人々にとっては、天皇陛下がおられる帝都東京が爆撃されたというのは、天地がひっくり返るような一大事でした。