生産性という考え方が全くない
記憶に残るのは、水谷氏のこんな言葉だ。
「日本とイタリアでは、災害支援を行うボランティアの考え方も違います。イタリアでは、あらかじめ専門の訓練を受けた人が国や自治体から交通費や宿泊などの補助を受けて被災地支援を行います。
たとえば、運転手は物資の輸送を担当し、料理人が避難所の食事をつくる。しかし日本ではシステム化もされていない上、専門性も問われない場合が多い。日本の災害支援には生産性という考え方がまったくないのが問題と考えているんです」
災害支援における生産性とは何か。水谷氏は即答した。
「要は投入したリソースでどれだけ効果がえられるか。ぼくは、中小企業の経営者だから、生産性を嫌でも意識してしまう。それなのに日本では、災害が発生するたび、被災地まで物資が届いているのに必要としている避難所や被災者のもとに行き渡らないという問題が起きる。限られた人材や物資でいかに効率的に支援活動を行うのか。そこが日本の災害支援に決定的に欠けている考え方だと思うのです」
喉元過ぎれば熱さを忘れる日本
私は、災害支援の生産性を上げるには、過去の災害関連死をひとつひとつ分析し、そこから政策や支援の改善につなげていくべきだと考えている。
どこで支援が途切れ、何が足りず、なぜ救えなかったのか。死に至るプロセスを検証すれば、限られた人材や物資をどこに投入すべきかが見えてくる。逆の視座に立てば、災害関連死の分析によって、政策や支援の不備が浮かび上がってくるからだ。
内閣府が災害関連死の事例集を公表したのは2021年。その2年後には増補版が公開された。事例をどのように活用していくのか。検討をはじめようとしている矢先に、熊本は三度震度7の揺れにおそわれた。まさか、また熊本が、と感じた人は多かったはずだ。
10年前に破壊された熊本の風景を前にした瞬間の驚きと恐怖……。私自身も確かに当事者に近い問題意識を突きつけられていたはずだった。しかし歳月とともにその切実な意識は薄れ、平穏な日常を生きていた。
当事者意識を持ち続けるのは難しい。だからこそ、災害関連死を検証し、制度や支援に落とし込む必要がある。だが、数年前には、東日本大震災や、熊本地震の被災自治体による災害関連死に関する資料の破棄が報じられた。
目を背けずに過去の死と向き合う。それが、自然災害から命や生活を守る第一歩なのではないだろうか。


