震災から3年後に亡くなった40代女性

2004年の新潟県中越地震を取材していた当時、私は「災害弱者」と呼ばれる高齢者や基礎疾患を持つ人が、災害の影響で亡くなるのは、仕方ないと受け止めていた。

そんな私を変えたのが、3・11だった。

震災から1年が経とうとしたある日、被災地に暮らす30代の知人が突然、亡くなった。自死が疑われた。大災害を生き延びた人が、なぜ自ら命を絶たねばならなかったのか。同時期には、被害が大きかった町で飲食店を再開した店主が病に倒れ、障害を負った。地域を率先するように復興に力を尽くしていた彼も、目に見えぬ疲労やストレスに苛まれていたのかもしれない。

災害の性質、被災した人たちを取り巻く社会状況、生活環境、職業、年齢、資産、性別、健康状態、家族構成などによって、災後の生き方も、死に方も変わっていく。加えて時間の経過とともに被災者のリスクは多様化する。

東日本大震災だけでなく、阪神・淡路大震災や、能登半島地震、前回の熊本地震では、高齢者が避難所で亡くなったり、繰り返し避難した末に衰弱死したりした例をいくつも見聞きした。

能登半島地震において発生した輪島市大規模火災の焼け跡
写真=iStock.com/MasaoTaira
能登半島地震において発生した輪島市大規模火災の焼け跡 ※写真はイメージです

老朽化した熊本市内の病院に入院中だった4才の女の子は治療を継続できず、移送された福岡市の九州大学病院で命を落とした。福島で被災した30代の外国人男性は、避難先で精神的なケアにつながれず、8カ月後に自ら命を絶った。慢性疾患を抱えた40代の女性は3・11で家やクルマを失って、病院から足が遠退いた。3年後、仮設住宅の一室で彼女は冷たくなっていた……。

ここに紹介したのは、私が直接取材した災害関連死のほんの一部だ。

1カ月たっても人手も物資も足りない

取材を重ねるなかで、ひとつの考えに行き着いた。

地震や津波、豪雨などの自然災害の発生は防げないが、災害関連死は防災政策や災害支援の拡充によって限りなくゼロにできる可能性があるのではないか。それこそが、防災政策や災害支援の究極の目的なのではないか、と。

そうした問題意識をもとに遺族や関係者、支援者とともに2024年に立ち上げたグループが〈災害関連死を考える会〉だ。

〈災害関連死を考える会〉同様に、災害関連死ゼロを掲げる支援団体は少なくない。

思い出すのは、発災から1カ月後に訪ねた能登半島地震の被災地である。

ある避難所で、私は支援団体のリーダーと思われる女性に話しかけた。災害関連死を防ぐために、ここではどのような取り組みを行っているのか。私が「災害関連死」と口にしたとたん、彼女は一気にまくし立てた。

「ずっと急性期が続いている状態なんです。そんななかで、私たちはいかに災害関連死を減らすか、それだけを目的に活動しているんです!」

口調からいらだちが伝わってきた。

災害医療では、発災から1週間を急性期と呼ぶ。1カ月が過ぎても物資も人手も足りない、と訴えたかったのだろう。