突然発生する“不穏な回”の魅力
『ちいかわ』において、いまだ隠された謎として「呪いの杖編」がある。「うさぎ」が買ってきた杖のような何らかの文明具をきっかけに、突如ともだちだったちいかわ族にツノが生え、爪が伸び出て、まるででかつよ族のような「キメラ」になる。
モモンガのように、(おそらくは)2つの部族間で身体を交換しあって、ちいかわ世界に潜んでいるでかつよ、という伏線も仕込まれている。過去イチ恐ろしかった話は、ハチワレとうさぎがキメラ化したシーンだろう。「心がふたつある~」のアレである。
— ちいかわアニメ火金 (@ngnchiikawa) September 7, 2020
ほのぼのとした暮らしを描く「日常編」でも突然“不穏な回”が投稿され、そのたびにXのトレンド入りを繰り返してきた。映画版の話に戻るが、映画はそのちいかわならではの話題のつくり方がそのままぎゅっと99分に凝縮されていた。
それは人間社会の崩壊後を描いたと多くの考察で話題になった『けものフレンズ』と酷似する。ともだちが明日ふと変貌するかもしれない恐るべき世界。ビジュアルや会話、世界観すべてが「ふわふわかわいいもの」に包まれているようにみえて、それは我々の日常の残酷さをむしろ際立たせる。
総括するとサンリオ的世界観の中で「すみっコぐらし」×「美味しんぼ」×「けものフレンズ」が合体したような作品、というのが私のちいかわ解釈である。
無菌状態にしていない、ということが『ちいかわ』の魅力である。ただかわいいだけじゃ生きていけない、そこにはあざとさもあれば弱肉強食で隣人を喰うような競争もある。そこにナガノ氏は逐一起こったことを説明せず、「なんとかなっちゃった」と突き放すことで、判断も考察も我々に預ける。
このちいかわ世界はなぜ生まれたのか、ちいかわ達は何をアナロジーとして我々に伝えているのか。映画版の「今日の日はさようなら」が、視聴し終わってしばらくたっても、脳裏に深くこびりついている。澄んだハチワレの歌声が、どこか不安定でいつかは失われる凶兆を感じさせる。
劇場版はこの歌のために作られたのではないか。この歌声をファンに「植え付けた」ことで今後ちいかわ世界にハマりこむ深さは一段また深くなることだろう。

