『チャーリーとチョコレート工場』と似ている

ちいかわは総じて胃袋を刺激してくる。

作り手が描かれないグルメ漫画の面もあるのだ。『美味しんぼ』のようにひたすらに食し、そのおいしさをともだち達と共感する様子が描かれる。

家族総出で映画を視聴しにいった我が家の当日の夕食メニューは、そのまま「旨辛カレーと貝汁」である。見終わった子供たちが「カレー! カレー‼」と大合唱がとまらなかった。我々はちいかわレストランも行ったし、ちいかわベーカリーも行った。ちいかわの世界にでてくる食べ物を、その鮮度が高いうちに味わうことで、まるでこのフィクション世界のテーマパークにちょっとだけお邪魔しているかのような気持ちになる。

ナガノ氏のグルメ観はまるで『チャーリーとチョコレート工場』だ。日常世界にお菓子があったらどうだろうという“子供の夢”は映画にされてきたが、まさかファンタジー世界に大人のグルメがはびこっていたらどうだろうかという“大人の夢”を世界観として組み込んだ作品は唯一無二である。

なぜかちいかわの作品内では食べ物が“自生”している。地面にふと埋まっている炊飯ジャー、木から生える笛ラムネにダブルクリーム、ソフトクリーム、出汁サーバーなんてのも登場する。

泉から湧き出るおソバ、オフィスグリコのカエルの貯金箱なども出てくる。世界観も時代考証もめちゃくちゃだ! という声もありそうだが、こうした装置がさまざまな憶測や考察を引き出しやすくなっており、同時にちいかわコラボを誘発し、外側世界で「IP化させやすさ」にもつながっている。

上海の「ちいかわ」ポップアップショップで、商品を買い求める来店客ら=2024年8月22日
写真=CFOTO/共同通信イメージズ
上海の「ちいかわ」ポップアップショップで、商品を買い求める来店客ら=2024年8月22日

まるで枕草子のような世界観

映画版では、ちいかわは島民と共に、セイレーンという巨大な怪物と戦う。セイレーンは島民を見下げているわけでもなく、時にはともだちのように楽しく日々を過ごしながら、突如として一緒に遊んでいた島民たちを捕食の対象にする。

「ちょっと目をはなしたらこれだもん。旨味が染みたら味噌漬けね」と話すように非情である。島民らに同情も共感もない。

セイレーンが「でかつよ族」かどうかは議論があるようだが、ちいかわらと対をなすモンスターたちのメンタリティは総じて人間そのものである。常に怯えと恐怖で涙を浮かべ、あらゆる事象に心を動かされる繊細すぎるちいかわとは真逆である。この構造はまるで今の世界における人間対その他の生物のようだ。

我々は好奇心旺盛で世界を闊歩し、あらゆる生を食して生きている。「ちいさくてかわいいやつら」の世界を置き去りにしながら、その奪ったものを一顧だにしない。映画版でのふるまいに賛否両論が生まれた、わがままで横暴な「モモンガ」に対する我々のいら立ちは、そうしたところから生まれるのではないだろうか。

似たような世界を描いた作品としては『すみっコぐらし』があげられるだろう。人間社会でもメインストリームからはずれ、ちいさな世界でコンプレックスをかかえ、すみっこを逆に落ち着く場として生きている人がいる。

ちいかわも同様のメッセージを発信しており、枕草子の「ちいさきものはみなうつくし」の精神で、我々が忘れ去っている日々のちょっとした心の揺れ動きやはかない友情の美しさ、ほっとやわらぐ食べ物による満足感などをまるで俳句や詩のようにつらつらと語っている。