「論破」はSNSでは好相性だが…

一方、「ひろゆき&いずみ新党(仮)」は様相が異なる。既存の(準)政治的組織を理念やイデオロギーによって束ねるのではなく、既存のファンコミュニティを少子化対策という中心争点によって政治化しようとしているように見える。

2026年7月30日現在、ひろゆき氏をXでフォローする274.5万のユーザー群の内部に、事実上のファンコミュニティが含まれていることは説明不要だろう。つまり、このファンコミュニティに少子化対策という共通目的を与えることで、政治組織への転換を試みているのだと筆者は考える。

ひろゆき氏への批判に対し、本人に代わって反駁する熱心なユーザーも散見されるが、彼らは新党の政治活動を熱烈に支える潜在的な担い手である。

それでは、SNS上での最適な行動とはどういったものか。

その答えは驚くほど簡単だ。SNS上でやるのだから、SNSのプラットフォーマーに最も多くの利益をもたらす行為をすればよいに決まっている。つまり、論争に次ぐ論争を巻き起こすことで多くのユーザーをSNS上に釘付けにし、大量のインプレッションを稼げばよい。そうすれば、アルゴリズムによってSNS上での存在感が高まり、多くの有権者に声が届くだろう。

暗がりでスマートフォンを使用している男性の手元
写真=iStock.com/ben-bryant
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ただし、プラットフォーマーの利益を最大化するのは、精緻で冷静な論争では決してない。それとは似ても似つかない、過度の単純化をともなう断言、反復、罵倒、揶揄の応酬といった、まさに論破文化を体現したような「論争ならぬ論争」だ。

「論争」を行うことはできるのか

そしてだからこそ、「少子化対策」という分かりやすい中心争点と、日本でも指折りの論争家であるひろゆき氏と、政治経験が豊富な泉氏の組み合わせというのは意外でも何でもなく、SNS選挙時代に対応した一つの解答だとさえいえる。

仮にこれが、「中道」のような分かりにくい理念であれば、SNS上で論争が起きるだろうか。ひろゆき氏のような論争家ではなく、精緻な議論を好む知の巨人が登壇していたら、どうしてSNS上で多くの人々に可視化されるだろうか。はたまた、同じく争点を掲げるにしても、財政政策のような取っつきにくいテーマであれば、果たしてどれほどの激しい論争が期待できるだろうか。

アントニオ猪木氏がその典型であったように、以前にも著名人が政党をつくる事例はあった。しかし、どれほどの知名度があっても、ファン同士が日常的かつ気軽に交流するインフラが乏しく、個人的人気を潜在的な政治組織へ転換することは難しかった。が、その弱点は、今やSNSが補ってくれる。

アントニオ猪木〔2012年12月24日撮影(阪神競馬場)〕
アントニオ猪木〔2012年12月24日撮影(阪神競馬場)〕(写真=Ogiyoshisan/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons