「神に近い扱い?」と同時に行われる「人権軽視?」

前記のような問題は、天皇のみならず皇族の取扱いにも表れてくる。「程度の差はあれいくぶんは『神に近い』取扱い」ということになると、人間としては大変な不自由を強いられることになるからだ。

詳しく書くことは避けるが、皇太子妃(当時)の精神的不調、それに関連しての皇太子(同)の、日本の皇族としては思い切ったメッセージ発出、皇族の交際や結婚についてまで保守系メディアを中心としたマスコミが種々書き立て、また、同様の報道を続け、皇室を離れる際の一時金を辞退しての皇籍離脱後にまでそれが続くという有様(いわゆる小室こむろ夫妻結婚問題)、こうした事態が続くのも、神に近い取扱いの一方ではその「個人としての人権」や「人間の尊厳」が十分に尊重されていないからではないだろうか。

記者会見における皇太子(当時)の発言だけ引用しておきたい(宮内庁ウェブサイトから。読点のかたちを変えたほかは、原文のまま。2004年)。

「長野県での滞在は、とても有益なものではあったと思いますが、まだ、雅子には依然として体調に波がある状態です。誕生日の会見の折にもお話しましたが、雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」

質問に答えられる皇太子さま
写真=時事通信フォト
外国訪問を前に記者会見し、質問に答えられる皇太子さま(2004年5月10日、東京・港区の東宮御所)[代表撮影]

「品位のない冗談の種」にされることも

以上のような問題は、天皇制のイメージをみずからの願望で規定し、それにまつわる幻想や神話を維持したがる、そのような保守派の人々の問題でもある。つまり、国粋保守派を中核とするような保守派とそれに同調するメディアの問題ということだ。

私は、皇族に近い位置にある民間人とお話ししたことが一度あるのだが、その方も、「国粋保守派の人々は、実をいえば、必ずしも天皇・皇族やその意向を尊重していません。仲間うちでは、品位のない冗談の種にするようなことさえあるのです」と語っていた。

前記のとおり、日本において天皇制にまつわる真摯な議論はタブー視されており、その程度は、アメリカにおけるキリスト教に関する議論以上かと思われるのだが、一方、先のように、主として保守系メディアによる、まるで個々人にプライヴァシーがないかのような報道は、あれこれなされているのである(なお、念のため付言すれば、私は、こうした報道を権力によって規制すべきだなどという意見ではない。保守系メディアの報道の在り方には人権に対する配慮が乏しくないかといっているにすぎない)。