基本的な人権保障のない“人間以上”の存在
もっとも、この点については、かつて、一部には、被告にはならないが原告にはなれる、あるいは原告になるのは不適切だが国が代位して訴えることはできる、などの折衷的な考え方もあった。
しかし、原告と被告で権利能力、当事者能力を分けて考えることには根拠が乏しいし、各能力の点をあいまいにしたまま代位を認めるのも疑問である。法理論としては弱く、いささかご都合主義的な考え方であるのは否めない。
そして、これは、実をいえば、裁判を受ける権利(憲法32条)だけの問題ではない。裁判に関しては、たまたま前記のような事件の判例が出たことから法学者の注目を集めたわけだが、どうも、天皇および皇族については、選挙権を否定することを含め、各種の基本的人権に大きな制約があるとするのが、政府ないしは皇族にかかわる実務における一般的な見解のようなのである(選挙権の行使を「自制することが望ましい」というのならまだわかるが、「否定する」となると、法学者としては大きな疑問を感じるところだ)。
基本的な人権が保障されないとなれば、天皇(ないしは皇族)を人間以上の存在と考えているのかあるいはその逆なのかということになるが、これは、当然に、人間以上ということなのであろう。
天皇は「神に近い部分もある」という含み
最高裁の判例は、天皇機関説事件を思い出させるとまではいわないとしても、戦前の天皇の地位に引きずられ、かつ、支配層の暗黙の圧力に忖度した考え方なのではないだろうか。
つまり、突き詰めれば、天皇は、「基本的に人間とはいえ神に近い部分もある」という含みをもつ判断なのではないだろうか(付け加えれば、たとえ天皇が被告とされても、意味のない訴えなら却下、棄却となるし、弁護士に依頼することももちろんできるので、法廷に出頭する必要はない)。
また、天皇に関するメディアの公式的報道や各種の儀式を含め公的な場面におけるその挙措等についても、これは文化の問題なのである程度やむをえないのかもしれないが、私は、「まだ、いくぶんは、あるいはかなりの程度に、『神に近い』取扱いではないかな」と感じる。
後にも述べるが、イギリス、スウェーデン、オランダ、デンマーク、ノルウェー等の王族と比較しても、そのことはいえると思う。実際、外国人の中には、日本の天皇は、今でも、公的に神のように扱われていると考えている人々が相当に多い(天皇に関連する記述の端々にそのような認識の表れている場合が、ままある)。

