人権が尊重されない日本の皇族
つまり、「真摯な分析や議論は、硬い書物においてならともかく、一般的にはできない(なぜなら、支配的なシステム、そのような保守派にとって危険であり、また、彼らのアイデンティティをもおびやかすから)」、しかし、「個人としての人権や人間の尊厳が尊重されていない報道は別にかまわない(なぜなら、先のような人々にとって特に害はなく、かつ、彼らの意に沿うように天皇・皇族のあり方をコントロールしてゆくために好都合だから)」ということなのではないだろうか。
私がまだ若かったころ、現天皇が配偶者探しに苦労されているという趣旨のテレビ番組を見たことがある。候補に挙がった人たちが、その後婚約したり留学したりする例が少なくないとする内容であったように記憶している(なお、現皇后も、当時の皇太子との結婚につき当初は固辞の姿勢を続けていたと報じられている)。
このような状況が生じがちな背景には、天皇・皇族に対する以上のような制度的・社会的取扱いがかなり影響しているのではないだろうか。その取扱いに比較的近い部分のあるイギリスの王族たちでも、個人としての自由は、より広く認められていると思われる。
「日の丸出すと、右翼と思われちゃう」
天皇制のイメージをみずからの願望で規定する人々の問題に関連して述べると、昔から、彼らの意に沿うような天皇制イメージにこだわり、また国歌、国旗等の位置付けについて、何かといえば人々に強制するような動きや発言をしがちだという問題もある(皇室典範改正、国旗損壊罪創設といった最近〔2026年〕の動向についても、こうした傾向は強く見られる)。
たとえば、建国記念の日(記紀神話に由来する初代天皇、神武天皇の即位日。旧暦紀元前660年1月1日)の創設は、戦後日本のあり方に照らして適切なものだったのか、また、『君が代』が戦後の国歌として本当に適切なものなのかといった議論は、右のような人々によって、非常に強く封じ込められてしまった。
私が子どもだったころ、祝日に国旗を家の前に掲げる人々は、普通にたくさんいた。しかし、そのような風習は、だんだんすたれていった。
国粋保守派の人々はそれを嘆くが、そのようになっていった大きな原因の一つは、国歌や国旗を人々に強制しようとする彼らの動きだったのではないか。実際、私の実家のあった名古屋の古い下町でさえ、老人たちが、「もう、日の丸は出さん。出すと、右翼と思われちゃうでね」と話していたのを記憶している。

