本能寺で父・信長と語らった

書影
和田裕弘『織田信忠――天下人の嫡男』(中公新書)

信長の上洛に合わせて公家衆は粟田口まで出迎えたが、出迎え無用との連絡を得て引き返した。信長は、京での定宿とするために改造していた本能寺へ入った。1年2カ月ぶりの上洛だった。翌6月1日には公家衆が参礼し、対面。近衛前久・信基父子をはじめ主だった廷臣が出御し、数刻雑談した。武田攻めの武功談のあと、4日には西国に出陣するとし、簡単に征服できると豪語していた(『日々記』)。

公家衆退出のあとは、側近衆だけが残り、信忠も久しぶりに深更まで信長と親しく雑談。『豊臣記』(豊臣秀吉の伝記作者の大村由己著)には、「よいには信忠を近づけ、常よりも親しくわが壮年の昔を語り、且つうは残るところなき果報を喜び、かねては万代長久の栄耀えいようたくみ、村井入道(貞勝)、近習の小姓以下に至るまで御憐愍ごれんびんことばを加え給う』と伝えている。翌日の本能寺の変を知ってからの作り話かもしれないが、そうしたひと時があったとしても不思議ではない。夜が更けたため、信忠は宿所の妙覚寺に帰っていった。これが父子最後の別れとなった。

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