不老長寿の霊薬としても用いられた

ヤマト政権から朱を入手した各地の豪族が4世紀に自分たちの古墳を、水銀朱の赤色顔料で飾るようになっていった。このような朱は、海外との貿易でも用いられたとみてよい。

水銀は、金メッキの触媒として欠かせない。また中国では、水銀は不老長寿の霊薬としても用いられた。『魏志倭人伝ぎしわじんでん』の中に、倭国の「山には丹(水銀朱)がある」という文章が見える。また『魏志倭人伝』の倭人の習俗を記した部分に、このように記されている。

「倭人は朱丹しゅたんを体に塗っている。それは中国の白粉おしろいのようなものである」

こういった記述は、古代中国の人びとが倭国の水銀に強い関心をもっていたことをうかがわせる。

ヤマト政権は多くの水銀鉱山を経営し、そこから採れる朱を各地の豪族や朝鮮半島の小国と交易していたと考えられる。あるていどの量の朱は、朝鮮半島の小国を経由して中国に持ち込まれたのではあるまいか。

250年に「倭国の交易の核となる都市」に

初代天皇となった磐余彦いわれびこ神武じんむ天皇)が、熊野を出て吉野よしのを通り、大和の宇陀に入ったとする伝説がある。これはヤマト政権が早い時期に、宇陀や熊野の水銀鉱山を征服したことを踏まえてつくられた物語であるのかもしれない。

武光誠『直近20年の新発見で解き明かす 古代史の真実』(青春出版社)
武光誠『直近20年の新発見で解き明かす 古代史の真実』(青春出版社)

箸墓古墳が築かれた250年あたりの段階で纒向は、「倭国の交易の核となる都市」としての地位を確立していたと考えられる。

その時点で九州北部を経由して、大量の青銅器や青銅の素材が纒向に入ってくるようになっていた。そしてヤマト政権は、朱や農工具などの独自の商品も持っていた。

倭迹々日百襲姫の没後に、ヤマト政権は纒向の都市を拡大し、前方後円墳による身分秩序を定めて地方豪族を編制していった。このようなヤマト政権の発展が一段落したところで倭迹々日百襲姫の後をいだ巫女のための桜井茶臼山古墳が築かれた。

近年の調査によってこの桜井茶臼山古墳に、南あわじ市の沼島ぬしまでしか採れない石材が用いられていたことが明らかになった。沼島とは淡路島の南岸にある小島である。

淡路島で松帆銅鐸まつほどうたくを残した集団が、3世紀末にヤマト政権に従っていたことになる。かれらは自分たちの勢力圏の石材を、わざわざ大和まで運んだのだ。

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