古墳から出土した200キロの水銀朱
桜井茶臼山古墳は、メスリ山古墳より古い。そうだとすれば桜井茶臼山古墳が、崇神天皇の治世の後半から垂仁天皇の治世の前半にかけて活躍した「王家の巫女」を葬る古墳であった可能性も出てくる。
桜井茶臼山古墳は、豊鍬入姫命の墓だったのだろうか。今となっては、そのことを確かめるすべはない。しかし桜井茶臼山古墳が、ヤマト政権の特別重要な人物を葬っていたことは明らかだ。
平成22年(2010)に桜井茶臼山古墳から81面の銅鏡がまとまって出土した。そのなかの26面は、「三角縁神獣鏡」と呼ばれる当時の最高の技術を用いてつくられた大型の鏡であった。
さらに令和5年(2023)になって、桜井茶臼山古墳の竪穴式石室(古墳の頂上に穴を掘って石で囲った空間を作ったもの)の壁や天井が真っ赤に塗られていたことが明らかになった。当時、貴重だった水銀朱(朱)が厚く塗られていたのだ。
桜井茶臼山古墳の石室に用いられた水銀朱の量は、200キログラムを超えていた。古代の日本で朱は、お清めに使われていた。赤い色には、悪霊を退ける力があると考えられていたからである。
豊鍬入姫命は、倭迹々日百襲姫が亡くなった後を承けて、ヤマト政権を守る首長霊の祭祀を担当するようになったのであろう。そのような有力な巫女の墓が大量の水銀朱で飾られたうえに、副葬品としての多くの銅鏡が供された。
宇陀や熊野の水銀鉱山を支配していた
赤色の顔料によるお清めの習俗の最盛期は、4、5世紀であった。その時代につくられた古墳の大部分に、赤色の顔料が用いられていた。
さらに古墳を飾る人物埴輪の目や口の周囲が赤く塗られていた例も多い。
古墳時代には、頬などに半円形などの模様を描いた人物の絵や彫刻が幾つか見られる。これは祭祀の時に、赤い顔料で顔に化粧した姿を表すものだともいわれる。
古墳時代の赤色顔料として、水銀朱とベンガラがあった。水銀朱の原料である辰砂は、古代に「丹」と呼ばれた。「丹」が採れる所に、「丹生」の地名がつけられた例も多い。
水銀と硫黄の化合物である硫化水銀が、辰砂である。これに対してベンガラは、酸化第二鉄から成る赤鉄鉱を主成分とした顔料である。
辰砂は猛毒の鉱物であり、赤鉄鉱はおおむね無害であった。しかし水銀朱は、ベンガラよりはるかに美しい。古代の朱は、大そう貴重であった。ベンガラはあちこちで採れるが、水銀の産地はそう多くないからだ。
九州に多くみられる装飾古墳の石室の内部を赤く塗った顔料の大部分が、ベンガラであった。桜井茶臼山古墳のような、朱を贅沢に使った古墳は珍しい。
日本列島の水銀の鉱脈の多くは、近畿から四国にかけての「大地溝帯」にある。日本の本州を横断し、東北日本と西南日本を分ける火山帯が、「大地溝帯」である。
この大地溝帯のなかの最大の水銀鉱山の1つが、奈良県宇陀市にある大和水銀鉱山である。
熊野地方にも、水銀朱の採れるところが多い。ヤマト政権は早い時期に、宇陀や熊野地方の水銀鉱山を支配した。そこを開発して、水銀朱を手広く交易するようになったのであろう。

