古墳時代開始以前の古墳
最古の古墳は、220年頃につくられた纒向石塚古墳になる。今では、纒向石塚古墳の出現をもって古墳時代の開始とする説をとる者は少ない。
纒向遺跡にある箸墓古墳より前の5基の古墳は、「古墳時代開始以前の古墳」もしくは墳丘墓として扱われているのだ。
箸墓古墳が築かれてから纒向遺跡が消滅するまでの間に、纒向遺跡の近くに5基の大型前方後円墳がつくられた。
250年から330年頃までの間に、纒向遺跡の北方に渋谷向山(景行天皇陵)古墳、行燈山(崇神天皇陵)古墳、西殿塚(衾田陵)古墳が築かれた。そして同じ時期に纒向遺跡の南方に、桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳が出来た。
ここにあげた5基の前方後円墳は、いずれも全長200メートルを超える古墳である、この5基と箸墓古墳をあわせた6基の古墳は、3代の大王と、その大王に仕えた3人の「王族の巫女」を葬ったものだったとも考えられる。天照大神の祭祀を担当する斎宮は、この「王族の巫女」の系譜をひくものだ。
都市の南方に築かれた巫女の墓
倭迹々日百襲姫が特に優れた巫女であったために、纒向の人びとは彼女の墓を都市の中につくり、自分たちの守り神として祀ったのであろうか。さらに、こういった推測もできる。
「倭迹々日百襲姫の没後の大王の墓は都市の北方につくり、巫女の墓は都市の南方に築いた」
纒向遺跡の北方に墓のある3代の大王が、『日本書紀』などに出てくる10代崇神天皇、11代垂仁天皇、12代景行天皇に相当する可能性もある。『日本書紀』などはこの3代の大王の時代に、2人の有力な巫女がいたと伝える。
その2人とは、崇神天皇の娘の豊鍬入姫命と垂仁天皇の娘にあたる倭姫命である。
『日本書紀』に、崇神天皇が宮中で祀っていた天照大神を笠縫邑に遷し、豊鍬入姫命にその祭祀を担当させたとある。
そして垂仁天皇の時代に倭姫命が、豊鍬入姫命に代わって天照大神を祀るようになったとも記されている。この倭姫命は、日本武尊に三種の神器の1つである草薙剣を授けたことでも知られる。
ここにあげた3人の大王と2人の王族の巫女は倭迹々日百襲姫に対する敬意を表すために、纒向の都市の中に墓を作るのを避けたのだろう。

