「石橋をたたいても渡らない監督」ではなくなった
森保一監督はどういう人なのか。
高校時代はサッカー選手としては無名だった。「森・保一」と名前を間違えられたことにちなみ、「ポイチ」との愛称で親しまれることになった。ほとんどの人が名字を「モリヤス」とは読めなかったという。
日本サッカーリーグのマツダ(現・Jリーグのサンフレッチェ広島)に入団し、1992年4月、ハンス・オフト氏が日本代表監督に就任すると日本代表に初招集された。現役引退後は指導者の道を歩み、とくにサンフレッチェ広島の初代総監督である今西和男氏を師とあおぐ。
藤江さんが「謙虚というか、控え目というか」と言葉を選び、こう続けた。
「現役の時から、もう本当に三歩下がって、“師のカゲを踏まず”みたいな人ですから、黒子という言葉がぴったりの人です」
日本代表の森保監督をみると、藤江さんは、2024年1月から2月にかけて開かれたアジアカップが「一番のターニングポイントでした」と見る。日本代表は準々決勝でロングボール一辺倒のイランに1-2で敗れた。これで森保監督はシステムや選手の配置を変え、「しっかりと勝ち抜くためのサッカーに変わった」という。
「森保さんは第一次政権の時は、“石橋をたたいても渡らないタイプ”だったのに、第二次政権の時には、“石橋をたたきながら渡っていくタイプ”になったのです」
いざ最高の景色を。みんなで。
森保監督は、W杯の試合前の国歌斉唱の際、必ず泣いている。
藤江さんが説明してくれる。「そう、熱い人なんです」と。
「日本人である誇りと喜びがあふれてきて涙が自然と出てくると本人は言っていました。また、日本代表選手を育ててくれた人たちや、応援してくれるファン、サポーターの人たちのことを思うと、勝手に涙が出てくるのでしょう。いわば感謝の涙みたいなものです」
ああ人間とは実に奥深い。勝負は時の運ながら、間違いないのは、森保監督率いる日本代表のサッカーが全48チームの中で一番楽しめるサッカーだということだ。
いざ最高の景色を。みんなで。

