引っ張ってきたMF南野拓実やMF三笘薫が負傷によりW杯メンバーから選外となっていた。遠藤もまた失意のうちにチームを離脱し、代表引退を表明した。森保監督は初戦前日の公式会見で、「航が傷つくことはもちろんですけど、航が大切にしている家族、航を応援している方々、本人だけでなくて多くの方々を傷つけるようなことをしてしまったことは、私自身、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。皆さんに謝りたいと思っています」と涙声で漏らしている。
なお、オランダとの試合前の日本代表ミーティングで遠藤の約3分のビデオメッセージが流され、遠藤がつけた背番号6の青色の日本代表ユニホームが日本ベンチに架けられていた。試合後、新主将の板倉滉はそのユニホームを誇らしげに高々と掲げたのだった。
ドーハの悲劇で知った「下を向くな」の意味
わが脳裏に刻まれたサッカーのテレビの映像がふたつ、ある。いずれも、森保一監督が映っている。
ひとつが、1993(平成5)年10月28日の「ドーハの悲劇」である。カタールのドーハで行われた1994年アメリカW杯アジア地区最終予選のイラク戦で、日本代表が試合終了間際の同点ゴールによりW杯出場を逃した試合だ。
ピッチに崩れ落ちた日本代表の選手の中に当時25歳の森保選手もいた。ポジションはボランチ(守備的ミッドフィルダー)だった。中盤の底で守備を最優先させる、「縁の下の力持ち」、黒子役の役回りだった。
同点ゴールとなるコーナーキックは、森保選手の頭上を通り過ぎている。藤江さんは現地でこの試合を取材していた。藤江さんも最後、記者席で崩れ落ちた。
「衝撃的な終わり方でした。悪夢を見ていたような感じでしたね」
試合翌日朝、藤江さんは選手の宿舎ホテルに取材にいった。仲の良かった「カズさん」こと三浦知良選手と言葉を交わした。「成田空港に着いたらトマトかな」とカズさんは漏らした。1966年のW杯イングランド大会1次リーグで北朝鮮に負けて敗退したイタリア代表がローマ空港に帰ったら、ファンからトマトをぶつけられた事件を持ち出したジョークだった。
ファン、メディアへの感謝を忘れない“黒子”
当時スポーツ新聞社に勤めていた藤江さんは国際ファックスで送られてきた紙面を見せ、「そんなことは絶対、ありません」と言った。紙面は2面・3面の見開きで、大きな見出しが躍っていた。「下を向くな!黄金イレブン、胸張って帰ってこい」と。
カズさんは泣き出し、「チームのみんなにも見せたい」と言ったそうだ。おそらく森保選手もこのスポーツ新聞を見たに違いない、と藤江さんは振り返る。
