後回しのうえに怠慢
なぜ、ほったらかしにされたのか。日本政府は名簿を受け取った順序を逆転し、ゴルバチョフ持参名簿から身元特定に取りかかったからだ。ソ連地域の死亡者について1991年度末までに8905人、92年度末までに1万3394人の計2万2299人の身元を特定し、連絡先が把握できた遺族に通知していることからもソ連地域優先が見てとれる。
後回しになったモンゴル地域の死亡者の身元特定作業はソ連地域から遅れること2年、94年度末までかかって、1597人のうち1427人を特定した。
さらに提供死亡者名簿の精査から、名簿にはなかった死亡者についての現地調査という段階に入ると、ソ連とモンゴルの死亡者特定に対する格差は一層ひどくなる。
まずソ連の方から見てみる。こちらも死亡者のロシア語の氏名が日本人の通常の読みとかけ離れたものが含まれていたゴルバチョフ持参名簿だけでは特定に限界がある。2000年代に入ると、死亡者の特定数は年一桁に落ち込む。
しかし、2010年度以降、1572人、848人、921人、1202人と跳ね上がった。2015年度以降、256人、287人、307人とペースは鈍化したものの、年100人前後は維持。2026年1月現在の身元特定者数は3万9648人に。つまり、1万7349人を積み上げたことになる。
これは、モスクワの日本大使館に厚労省の専門事務官を常駐させた効果で、現地の公文書館で抑留者の新たな個人記録や死亡記録を発掘したからである。
国家の責務としての「戦後」は終わらない
一方、モンゴル地域の死亡者の身元特定は1998年度、99年度、2019年度に各1人あっただけである。この3人とも国の調査による特定ではない。個別の遺族から問い合わせがあって身元が判明した「他力頼み」だった。
私の情報提供を受け、厚労省は2018年6月に初めて職員をモンゴルに派遣したが、それまで現地で一切調査していない。新たな資料を見つけていないのだから身元特定は当然進まない。
調査は死亡者の数が大きいソ連地域に偏っていたのは明らかだ。モンゴル地域では当初、ゴムボスレン持参名簿を翻訳して表に内容を書き写す際、欄を間違え、別人を記載するミスもあった。30年以上たってミスに気づき、2025年に身元特定したが、その間、誰も表をチェックしなかったのか、と首をかしげてしまう。
厚労省は2018年度以降、毎年のように職員をモンゴルに派遣して新たな資料の入手に当たるようになる。その結果、2020年度からは身元特定者が増え、2026年1月現在の身元特定者数は1539人に達した。だが、資料の入手先をモンゴル国立中央公文書館以外に広げていないため、手詰まりが見えてきている。
1700人台半ばの死亡者総数から直近の身元特定者数1541人を差し引くと、身元の特定に至っていない死亡者は約200人にのぼる。モンゴル政府から記録が提供されていないか、提供されていても情報が不十分か、どちらかの理由なのだが、身元未特定の死亡者がゼロにならない限り、遺族にとって、いや国家の責務としての「戦後」は終わらない。

