「広島の売り上げを伸ばして会社を見返したい」
セブン‐イレブンに入社して、トレーニングストア(直営店)での研修を終えた後、OFCとしての配属先は広島地区だった。当時の広島地区はまだ店舗数が少ないうえ売り上げも低い。野田氏は一瞬、「左遷されたのか……」と思ったそうだ。会社から自分はさほど期待されていない気がして、こう思ったという。
「広島地区の売り上げを伸ばして会社を見返したい」
それが野田氏にとっての最初のモチベーションだった。そんなとき偶然、担当店オーナーが大阪出身で「関西には恵方巻という風習がある」と聞かされた。きっかけは何でもよかった。売り上げを上げる起爆剤として「恵方巻を予約商材として取り組んでみよう」という話になった。
いまでこそ恵方巻は、全国のコンビニチェーンやスーパーがこぞって取り組む一大商材。関西の風習という域を超えて全国に定着している。だが、その起点が発祥の関西ではなく「広島地区の売り上げを上げたい」という、野田OFCの切実な思いからだったことは、あまり知られていない。もっとも、セブン‐イレブン・ジャパン社内では、仕掛け人である野田氏が挑んだ恵方巻物語は、長く語り草になったが。
「やってみたら、あっという間に完売」
野田氏はまず、怪訝な反応を示す製造工場(デイリーメーカー)に「切っていない巻き寿司を10本だけ納品してほしい」と頼み込んだ。広島では馴染みのない風習だったため、店頭ではPOPに恵方巻の由来や食べ方を書き込み、売場を丁寧に作り込んだ。そのときの状況を野田氏は興奮気味に語る。
「やってみたら、あっという間に完売したんです。たった1店の取り組みだったので、翌年は担当エリアの8店すべてで20本ずつ販売したらこれも完売。3年目にはディストリクトマネジャー(DM・地区責任者)が方針を出してくれて、地区80店で1店平均30本を販売しました。これも、やっぱり完売でした」
なぜ、こうも売れたのだろう……。野田氏に問うと、ある仮説があったことを教えてくれた。
「節分って、家庭では豆以外に何を食べているんだろう? 恵方巻は、豆と食べるにはちょうどよい量です。絶対にウケると思いました」
鈴木敏文社長(1992年に会長に就任)からは常々「お客様の立場で考えなさい」と教えられていた。これは野田氏が自身の生活シーンから消費者目線で閃いたアイデアだったのである。それだけではない。恵方巻の取り組みは、従業員教育にも有効だと考えた。
