経済成長によって、中国人の生活は急激に変化している。約40年前、中国に留学したジャーナリストの中島恵さんは「当時は精米技術が進んでいなかったので、ご飯の中に小石が混じっていて衝撃を受けた。そんな中、藁にもすがる気持ちで買ったパンの味を今でも思い出す」という――。(第1回)

※本稿は、中島恵『中国の回鍋肉にキャベツは使わない』(ウェッジ)の一部を再編集したものです。

写真=共同通信フォト
中国訪問を終えて記者会見する田中角栄首相=1972(昭和47)年9月30日、首相官邸

特権階級だけが利用できる「謎スーパー」

中国でたびたび耳にした言葉、それはなぜか友誼ヨーイー(友情)だった。短期留学中は、買い物を楽しみにしていたが、その頃北京で日本人が「欲しい」と思うようなものはほとんど売っていなかった。

大学生だったので「日本にお土産を買って帰らなきゃ」といった義務感はなかったが、誰かに連れられていったのが友誼商店(フレンドシップストア)という奇妙な名前のお店だった。日本ではテレビドラマや映画で「友情出演」というテロップを見るが、店名ではあまり聞かない。店名に「友情○○」とあったら、いかにも怪しそう、というのが日本人の感覚だろう。

中国の友誼商店は50年代にできた国営の商店で、主に外国人や政府関係者が利用することができ、北京以外に上海、天津、広州などの大都市にもあった。

友誼商店で売られていたものは、空港の免税店にあるようなたばこ、香水、化粧品、中国酒、特産品(刺繍、七宝焼など)などで、いつも閑散としていた。店内を見渡してみてもやはり欲しいものはなかったが、「特別な人だけが買い物できる」といった独特の雰囲気があった。

15年間だけ使われていた「幻のお金」

人民が買い物をする商店は驚くほど多くの人でごった返していて、貴重品を盗まれないかヒヤヒヤしながら店内を歩かなければならないのに、友誼商店はシーンと静まり返っていた。

店員は手持ち無沙汰な感じで立っていたが、そこは当時の中国。客がいようがいまいが、店員同士でおしゃべりしたり、だらだらしていて、まったくやる気というものが感じられなかった。その当時、中国に行ったことのある人なら誰でも体験している「お釣りをぶっきらぼうに投げて返される」経験や、ものがあるのにないという「没有メイヨー」攻撃も、この友誼商店で初体験した。

友誼商店で使用できたお金は外貨兌換だかん券というシロモノだった。外貨兌換券とは、中国が外貨を管理するために1980年4月1日から流通させていた貨幣で、95年1月1日に廃止されるまで15年間だけ使われていた、外国人専用のお金。

だから、その間に中国に行ったことがある日本人なら、必ず使ったことがある。外国人は空港で両替するとこのお金を渡されるため、友誼商店のみならず、バスに乗るときも、学食でも、このお金を使うしかなかった。