弔い合戦が始まった

翌朝の新聞は、高嶋の死の状況をこう伝えていた。

クマに襲われハンター死ぬ
クマ撃ちに行くと出掛けたまま(*昭和六十年四月)二十二日夜から行方不明となっていた羅臼町のハンターが二十三日早朝、羅臼町海岸町ハシコイ川八百メートル上流、通称“マルクラ”の沢で死体となって発見された。死亡していたのは羅臼町(*住所略)、ミンク養殖業、高嶋喜作さん(六二)。死体の頭部や顔にはクマのツメでひっかかれたようなキズがあり、死体から六十メートル離れた地点にライフル銃が放置されていた(「釧路新聞」1985年4月24日付)

4月24日の早朝5時、赤石は3人のハンターと、高嶋が撃ち逃したヒグマを見つけ出すために山に入った。

言うなれば「弔い合戦」である。

高嶋の遺体が見つかったマルクラの沢は、漁家が連なる羅臼町市街地から半島の先端に4キロほどいった所にある小さなせせらぎの川である(正式な河川名はハシコイ川)。

川の手前には羅臼灯台を建設するための道路がつくられている。道路を上りきった所から沢の稜線に出ることにした。

命を落とした“名人”の足跡

灯台を後にして、歩き始める。灯台の位置から右側に、高嶋が殺された沢がある。左側には、オジロワシの営巣場所があるチトライ川が流れている。

高嶋は、この2つの沢近辺で、ヒグマが出ているという話を近隣住民から聞き、羆撃ちに出かけたという。

いま歩いている稜線を高嶋も歩いたはずだ。

高嶋の遺体を見つけた前日の捜索隊からは、現場付近に大小のヒグマの足跡と、それよりもさらに大きいヒグマの足跡があったとの情報が入っていた。高嶋が撃ったのは、親子グマなのか、それとも単独の大グマなのか、現時点ではわからない。

捜索メンバーの1人、関本知春はアイヌ犬を連れてきている。関本の本職は、電力会社の職員で、まだ銃を持って間もないが、登山に精通しており、山歩きはお手の物だ。春グマの時は、時間さえあれば赤石と行動をともにしている。赤石にとっては、羆撃ちの一番弟子的な存在であり、猟仲間でもある。

「こっちに靴の跡があるぞ」

もう1人の捜索メンバー、羅臼の須藤公男が、右の沢に降りていった靴の跡を見つけた。この跡は、高嶋だろう。足跡をたどり、沢に降りていく。足跡は、沢の下流へと向かっている。

沢底に着いた所で手分けしてヒグマの足跡を探す。

クマの足跡
写真=iStock.com/kellyvandellen
※写真はイメージです

「あった」

大きい足跡が、雪渓の上を上流に向かって進んでいる。下へと下っていく足跡もある。