“現場”には鮮血が飛び散っていた

とりあえず大きい足跡をたどることにして、左右にふた手に分かれ、慎重に沢を上っていく。斜面は南側に面しており、暖気により雪の中からササが伸びている。

ヒグマの足跡の歩幅が狭い。急いではいないということだ。1キロほど上流へ向かった所で、ヒグマが雪を掘り返し、餌を探した跡を見つけた。

「このくま、餌探しているから撃たれた羆でないな」

赤石は、その跡を見て一瞬でヒグマを見分けた。高嶋に撃たれて傷を負っているならば、餌など見向きもしないで逃げるのが普通だからだ。

「とすると、もう一個のほうか。下に下がるぞ」

赤石は、皆に声をかけ、一気に沢を下流に向かい降り始めた。

マルクラの沢は、沢の両岸が切り立っている所が多い。本来なら、いま歩いている場所は、川の中なのだが、雪が残る今の時期は雪渓となっている。

「もうじき、高嶋さんの現場のはずだ」

沢は、もう少し上流で二股となる。皆にそう伝えながら、歩くスピードを緩め、慎重に近づいていく。人を殺したヒグマが現場周辺にしばらく居座っていることは珍しくない。

これまでに見つけた足跡は、上流に向かった成獣1頭と、下流に向かった親子グマと思われる2頭だ。高嶋が撃ったのは親子グマだったのか――?

「ここだ」

“現場”はすぐにわかった。あたり一面、鮮血が雪渓の上に、飛び散っていたからだ。高嶋のものか、ヒグマのものか判然としないが、雪でやや薄まった赤色はかえって凄惨な印象を与えた。

ここで人間とヒグマの死を賭した格闘があったことは明白だった。

現場周辺を昨日の捜索隊が歩き回ったのであろう。その足跡でヒグマの足跡は、見事なくらい、すべてかき消されていた。

高嶋の遺体が発見されたのは、ヒグマと格闘したと思しき場所のさらに下のほう、雪渓がぽっかりと空いた穴の中だった。ヒグマに振り回されたのか、自分で逃げようとしたのかはわからない。

後の死因検証で、高嶋の死因は「外傷性ショック死」とされた。

20メートル先の藪に…

「周りに気をつけれよ」

赤石が声をかけ、4人で手分けしてあたりを探索する。昨日の捜索隊によると「親子グマは斜面を上って逃げた」とのことだったが、赤石は首を捻った。

「なんか変だ。どこにも逃げた足跡がない」

やがて赤石は、遺体発見現場のすぐ近く、雪渓とササがむき出しになった所に、足跡とも呼べないほどの痕跡を見つけた。よく見ると微かに血痕もにじんでいる。もしかすると、ヒグマはまだこの辺にいるのかもしれない。沢の反対側にいた関本が、連れてきた犬を放した。犬は、何かの匂いを嗅ぎつけたのか元気よく斜面を駆けていく。

その時だった。犬が突然吠え始めると、藪の中からヒグマが頭を出した。

グリズリー
写真=iStock.com/Warren A Metcalf
※写真はイメージです

ヒグマは犬に向かって吠え、威嚇する。だが赤石の場所からは、曲がり角にそびえる岩場が邪魔して、ヒグマの姿を捉えることができない。

沢の下にいた須藤が、ヒグマに向かって20番スラッグ弾を放った。距離20メートルから放たれた2発の銃弾でヒグマはササの中に崩れ落ちた。

赤石は斜面を駆け上がり回り込みながら慎重に近づく。ヒグマは最後の力を振り絞り動こうとしていた。とっさに赤石は、ヒグマの耳をつかむと、斜面の下に投げ落とした。