“戦闘行動”として城を出た
この書状には、村重が尼崎城に向かった様子が詳細に記されている。
尚々御人数之事、先早々奉待候、為之如此候、
急度令啓候、仍於三木表被得大利之由風聞候、於必定ハ御手柄不及申計候、随而敵今朝未明ニ此表へ取寄候、中将殿も自身被動、即小屋以下をもかけ申候、就其此方人数漸御前衆かけて六・七百計立候事、無人と察候条、早々御人数被差返候て可給候、いたみ九兵(伊丹九兵衛)よりも被仰越候、御油断ニてハ八曲有間敷候、其上□一刻も早く先至花熊、御上奉待候、委細日志可申入候、恐々謹言、
(天正七年)九月十一日 荒摂 村重(花押)
【筆者訳】
なおなお、応援の軍勢のことは、とにかく一刻も早くお待ち申し上げております。そのためにこのように(書状をしたためて)おります。
急ぎ申し上げます。かねてより、三木の戦場(別所方の三木城包囲戦)において、(我が方が)大勝利を収めたという噂を耳にいたしました。それが間違いのない事実であれば、そのお手柄は言葉に尽くせないほど見事なものです。
しかしながら、その一方で、敵(織田軍)は今朝の未明にこちらの戦線へと攻め寄せてまいりました。織田信忠(中将殿)も自ら出陣して指揮を執り、すぐさま(我が方の城を包囲するための)小屋(陣小屋)などを建て並べております。
これに対し、こちら側の軍勢は、そちらにおられる側近の皆様(御前衆)を合わせても、ようやく六、七百人ほどが踏みとどまっているという有様です。敵からも「(有岡城内は)もはやもぬけの殻(無人)だ」と見透かされている様子ですので、どうか大至急、そちらの軍勢をこちらへ送り返していただきたいのです。
この件については、伊丹九兵衛からも(そちらへ)状況を伝えてあるはずです。決して油断があっては、万に一つも(この難局を乗り切ることは)できません。
その上で、何としても一刻も早く、まずは花隈(城)へお急ぎいただき、(毛利からの)上使(援軍の使者)をお迎えください。詳しい状況は日志(使者の名前)に口頭で伝えさせます。恐々謹言。
天正七年九月十一日 荒木摂津守村重(花押)

