大関和、肉食系で我が道をいくタイプ
NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。実在の人物である大関和と鈴木雅をモチーフにした2人のナース・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)の物語は、ドラマが進むにつれて看護婦としての成長が丁寧に描かれている。
実際、二人のヒロインは朝の連続テレビ小説らしい、透明感のある俳優が配役されている。しかし、史実はどうであろう?
前回までの記事でも繰り返してきたが、史料の多く残る、りんのモチーフである大関和は、ドラマが描くような「献身的な白衣の天使」などではなかった。ひたすら貪欲で、我が道を行き、献身する相手すら自分で選ぶ女性であった。なによりも、その強烈なキャラクターで、一回り近く年下の男たちを次々と撃墜する、筋金入りのモテ女だったのだ。
そこで、改めてなぜ、大関和はそんなに“モテ女”だったのかを検証してみようと思う。
(参考:コンプラ重視のNHKでは絶対に描けない…「風、薫る」看護婦見習いの大関和が新聞に暴露した病院実習の内実)
(参考:ばけばけ・小泉八雲の再現度とは大違い…史実無視の朝ドラ「風、薫る」でNHKが削ぎ落とした"白衣の天使"の素顔)
研究者の論考「美人でもあったせいか」
正直なところ、これまで和の人生を調査した研究者の文献を読むと、和が“モテ女”だったことは疑いがないだろう。例えば看護史を研究した高橋政子は、論考の中で次のように記している。
和は美人でもあったせいか、郷里・黒羽在住の、かつての家老仲間の次男・渡辺福之進豊綱から懇望されて、すでに男の子までもうけた側女の存在を知りながら、これを清算することを条件に、家同士でまとめた話に従って、東京から黒羽に嫁いでいった(「クリオへの感謝 歴史に見る看護婦群像」『看護教育』22巻9号)。
ようは、研究者が論考の中でわざわざ「美人でもあったせいか」と書いてしまっている。
学術論文である。客観的な事実を積み重ねるべき文章である。それなのに「美人でもあったせいか」である。しかも書いたのは同性の女性研究者だ。
和の若い頃の写真は、よく引用される一枚しか残っていない。その一枚だけで、会ったこともない後世の研究者を、論文の中でクラっとさせてしまっている。これが和のモテのスペックである。リアルタイムで周囲の男たちを撃墜するだけでは飽き足らず、死後100年経っても、写真一枚で同性の研究者の筆までを狂わせる……。
「美人でもあったせいか」。
この七文字に、すべてが詰まっている。

