“10代の青年・相馬”に刻まれた和の印象
しかし受け取る側の二十歳前の青年(相馬)はたまらない。
長野県の安曇野から出てきたばかりの青年である。東京など来たことがない。入院先は帝大病院、当時の日本最先端の医療施設だ。そこに現れたのが、「美人」の婦長。しかも「聖書が〜」「神の愛が〜」と言い出す。
明治において、キリスト教はまだ舶来の最先端思想である。安曇野の農家の青年が、生まれて初めて接するタイプの女性だ。
現代に置き換えるならば……上京したての二十歳前の男性が入院した大学病院で、美人(主観である)の看護師に「あなたの病気は絶対に治します」と励まされる。「これ見てたら、メンタルも落ち着くわよ」と、生まれて初めて、海外帰りの思想強めの“美人看護師”に、TED Talksと自己啓発本と聖書を同時に浴びせられるようなものである。
「落ち着け。この女はみんなにこうなんだ。お前にだけそうじゃない‼‼」
そう忠告できるのは、20代までに散々痛い目を見てきた男性だけである(筆者、書いていて壁を殴りたくなってきた)。長野県、それも安曇野の片田舎から出てきた青年に、その免疫はない。しかし、相馬の場合、そこから一切覚めることなく、和が晩年になってカネに困っていると聞けば現金を持って駆けつけた。おい、和‼ 男の純情を弄んでないか。
ほんとに相馬、どうしようもなくイイヤツすぎる。いや、これはもう「イイヤツ」という話ではない。入院中に刻まれた記憶が、生涯消えなかったということだ。和という女性の引力が、それほどまでに強かったということである。
獄中にいながら“全力で寄り添われた”木下
一方の木下はどうだろう。
木下との愛がもっとも燃え上がったのは、木下が選挙に関する不正を疑われ獄に囚われていた時期のことである。もともと、木下は和と知り合ってから、廃娼運動の同志として「選ばれ」、和に熱心に説かれて運動にまで引き込まれている。
ここで思い出してほしい。和は「献身する相手を自分で選ぶ」人間だ。我が子にすらイラつく女性が、木下を「選んだ」。廃娼運動の同志として、信頼に値する人間として。
その和が、獄中の木下に差し入れを続け、文通をした。
弱り切っている時に、全力で寄り添われる。しかも相手は、自分を運動に引き込んだ張本人だ。獄中という極限状態で、外の世界との唯一の接点が、和からの手紙と差し入れである。
だから「落ち着け!!! この女はみんなにこうなんだ」と気づけよ‼
そう忠告できる人間が、獄の外にいればよかった。しかも、この木下が獄中という特殊すぎる遠距離恋愛のせいで、和も本気になってるのがすごい。お互い顔も見えないから妄想は暴走する。ほら、2010年代前半のネットゲームが流行っていた頃に、アバターでしか知らない相手……性別すら不明な相手にガチ恋していた者もいただろう、あれだ。

