「身内の生活力の乏しさ」に容赦ない

高橋の論考では、和に「母性的な愛情に欠けるところがあったのではないだろうか」としながら、同時に「生活力の乏しい我が子への不満も生まれたのかもしれない」と記している。

つまり、こういうことである。

和は毎日病院で患者に献身し、聖書を伝道し、看護婦たちに活を入れ、医局と衝突している。その忙しい日々の中に、まだ小学生くらいの息子が割り込んでくる。手間がかかる。役に立たない。イラつく。

……患者の足元にはひれ伏して泣きながら祈るのに、我が子にはイラつく。

これが和のデコボコの核心である。他人の苦しみには全力で燃える。しかし身内の「生活力の乏しさ」には、容赦がない。信仰と社会改良に命を燃やす人間の、どうしようもない歪みがここにある。

このデコボコこそが、相馬愛蔵と木下尚江を撃墜した本当の理由だった。

前の記事に記した通り、後に新宿中村屋を開業し、インド独立運動の志士を支援したり文化人としても名を残した相馬は長野県の出身。1889年東京専門学校に入学するため上京して間もない頃に病を得て帝大病院に入院することになった。そこで、献身的な看護をしてくれる和と親交を結び、生涯援助を惜しまなかった。ただ、相馬との恋愛関係が生じたかは史料では断定できない。一方、その相馬に紹介された社会主義思想家である木下は、和と一時は結婚を約束するほど燃え上がった……。

ちなみにこのとき、相馬は17歳、と書いてある史料があるが、そのほかの文献などをもとにすると正確な年齢はわからない。おおむね20歳になる前とみられる。

相馬愛蔵(明治3年―昭和29年)
相馬愛蔵(明治3年―昭和29年)(写真=新宿中村屋/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

男たちは“あなたを選んだ”と受け取ったか

いずれも関係が生じた時点で、和は二人の男の10歳以上年上である。現代でも、素敵な人だなと思うことはあっても恋愛には成りがたい年齢差だ。ましてや、明治にこれだけ女性が年上だと恋愛対象として考える思考自体が生まれにくいだろう。

じゃあ、なにが男たちを燃え上がらせたのか?

その答えこそが、和のデコボコなのだ。

和は誰にでも優しいわけではない。我が子にすらイラつく。献身する相手は、自分の判断軸で選ぶ。そういう人間だ。

だからこそ……自分が「選ばれた」と感じた瞬間の破壊力が、異常なのである。

相馬の場合を思い出してほしい。相馬が帝大病院に入院した理由は疥癬かいせんである。臭気があり、看護婦たちも嫌がる病気だ。その患者のために、和が医師に直談判して治療回数を増やしてくれた。普段は厳しく、上から目線で、誰にでも優しいわけではない人間が、自分だけに全力を向けてくる。

これは単なる親切ではない。「私はあなたを選んだ」という宣言に等しい。

いや、和本人にそんな自覚は微塵もなかっただろう。おそらく和の感覚としては「おお! この疥癬の患者こそ神が私に与えた試練‼ 全力で看護し、伝道せねば‼」くらいのものである。