相馬は“木下との恋に猛反対”

まあ、結局この話、破談になるのだが、破談を主導したのは、ほかならぬ相馬だった。木下の女性関係のだらしなさを知っていた相馬が、猛反対したと史料には記されている。

木下尚江、1869―1937
木下尚江、1869―1937(写真=『木下尚江 先覚者の闘いと悩み』/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

だとしても「お、俺の和さんに、いくら木下といえども許さあああん‼」という嫉妬があったことは容易に想像できるだろう。

つまり大関和は、病床や獄中で出会ってはいけないタイプの女性だった。弱っている時に全力で寄り添われたら、男は一生逃げられない。ただし、結婚したら……筆者なら耐えられる自信はない。

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