僕が見落としていたこと
正確に言えば、筋力や体力がなかったわけではない。
むしろ、筋力や持久力だけでいえば、今の自分は30代の頃と変わらない。30代の頃は今ほど本格的に鍛えていなかったから、部分的にはむしろ今のほうが上だと思う。
僕はどこかで、50代になっても30代の身体を取り戻せると思っていた。トレーニングを続ければ、年齢に逆らえる。そう考えていた。
それは、正しくもあり、間違ってもいた。
筋力や持久力は、努力でかなり取り戻せる。場合によっては、若い頃より高めることもできる。けれど、反応の速さ、疲労の抜け方、怪我からの戻り方は、同じようには戻らない。腱や靱帯のしなやかさも、若い頃と同じではない。
ここを見落としていた。
筋力や体力があるから動ける。動けるから、昔と同じ感覚で追い込んでしまう。でも、回復の速さや、腱や靱帯の耐久力は、もう同じではない。
そのズレが、怪我につながっていた。
柔術は、その現実をかなり残酷な形で教えてくれた。
前提が間違っていた
そして、これは柔術だけの話ではない。
50代以降の仕事や人生にも、同じことが起きているのではないか、と。
トライアスロンを始めた40歳の頃は、多少無理をしても体が戻った。努力すれば、その分だけ結果に返ってくる感覚もあった。
でも、あれから15年以上が経っていた。
変わっていたのは、筋力や持久力だけでは測れない部分だった。
それなのに、やり方だけは変えていなかった。
40代の頃と同じ強度、頻度、気合いで続ければ、同じ結果が出るはずだと思っていた。頑張ろうとすればするほど、体が追いつかなくなっていた。
怪我をしたことを美談にしたいわけではない。むしろ逆だ。
僕が気づいたのは、体が変わっているのに、昔と同じつもりでやっていたことだった。その前提自体を、僕は一度も疑っていなかった。
しかし、その前提こそが間違っていた。
これは仕事でも人生でも、同じだった。
かつて通用した量、スピード、根性、肩書き、成功体験が、少しずつ効かなくなる。
ところが、自分ではなかなかそれに気づけない。むしろ、もう一度気合いを入れ直せばいい、もっと頑張れば戻れる、と考えてしまう。
でも、本当に必要なのは、昔の自分を取り戻すことなのだろうか。

