公開されたリストラ理由

また、11条目に「一、先年、朝倉義景が敗走のおり、戦機の見通しが悪いと叱ったところ、恐縮もせず、挙げ句に自慢をいって、その場の雰囲気をぶちこわした。あの時、信長は立場がなかった。あれほどの広言をしておきながら、長々と当地に滞陣しており、卑怯な行為は前代未聞である」とある。

これは非常に有名な逸話で、元亀4(1573)年に信長が朝倉家を滅ぼした際、近江で敗走する朝倉軍を信長が追い詰めようと急ぎ進軍したが、織田家臣団はその見込みが甘く、信長に遅れを取った。それを詰問すると、佐久間信盛が唯一人「そうはおっしゃいましても、われわれほどの家臣はお持ちになれますまい」と反論したのだ。おそらく最上位の重臣として同僚たちをかばったのだろうが、無能なクセに反論だけはするKY(空気が読めない)野郎と評価されてしまっている。

信長は「能力主義」「合理主義」に基づいて人材を登用したというイメージが強い。ではなぜ、無能に思える佐久間信盛が重臣の最上位に位置することができたのだろうか。