歴史が示す「ミッション」を持つことの困難さ
4人とも、ミッションを持っていた。しかし、4人の人生が示しているのは、ミッションを持つことの困難さであり、ミッションがあってもなお、テクノロジーは使う人間の意図を超えて作用するという冷徹な事実でもある。
ノーベルは、産業の効率化というミッションを持っていた。しかし、彼が生み出したダイナマイトは、彼の意図を超えて戦場に流れ込んだ。彼が遺言でノーベル賞を創設したのは、ミッションが現実に追い越された後の、遅すぎた贖罪だった。
オッペンハイマーは、ナチス・ドイツより先に原爆を完成させるというミッションを持っていた。しかし、彼が生み出した原爆は、ナチスではなく日本の市民に投下された。彼が戦後、水爆開発に反対したのは、ミッションが帰結に追い越された後の、苦渋の選択だった。
ガンジーは、非暴力で大英帝国に立ち向かうというミッションを持っていた。しかし、インド独立は、彼が望んだ統一インドではなく、ヒンドゥーとイスラムの流血の分割をもたらした。彼自身、暗殺者の銃弾に倒れた。
マンデラは、アパルトヘイト撤廃と人種和解というミッションを持っていた。しかし、現在の南アフリカは、彼が夢見た理想にはまだ遠い。
それでも、ミッションなしの未来が危うい理由
それでも――彼らがミッションを持っていたという事実は、消えない。
なぜなら、ミッションを持たない者は、テクノロジーの帰結を引き受ける主体にすらなれないからだ。ノーベルが苦悩できたのは、彼がミッションを持っていたからだ。オッペンハイマーが水爆開発に反対できたのは、彼がミッションを持っていたからだ。ガンジーが命をかけられたのは、彼がミッションを持っていたからだ。
ミッションがあれば、テクノロジーを完全に制御できるわけではない。生みの親の意図に反する成長を遂げたテクノロジーもある。だからこそ私は、21世紀の岐路においてミッションの重要性を改めて訴えていきたい。
使う人間を変えるものは、何か。この問いを立てた人は、少ない。「テクノロジーは道具だ。問題は使う人間だ」までは多くの人が言える。しかし、その先に進む人は少ない。
使う人間を変えるものは、やはりミッションなのだ。「自分は何のために、この技術を使うのか」「自分は何のために、この時代に生きているのか」「自分は何のために、ヒューマノイドの前に立っているのか」――この問いを持つ人間と、持たない人間とでは、同じテクノロジーを使っても、まったく違う未来が生まれる。

